MF308
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MF308(えむえふさんまるはち)は、レーシングエンジンビルダーの無限(現・M-TEC)が製作したF3000用エンジン。主に全日本F3000選手権とフォーミュラ・ニッポンで使用された。MF308とは「MugenのFormula用3.0リッター8気筒エンジン」の意味である。
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[編集] スペック
- 型式 V型8気筒、4バルブDOHC、自然吸気
- 排気量 2997cc
- バンク角 90度
- ボア×ストローク 86.0×64.5mm
- 最大出力 460ps以上/8500rpm
- 最大トルク 37.0kgm以上/7500rpm
[編集] 歴史
[編集] MF308誕生まで
1983年、ホンダはイギリスのレーシングエンジンビルダーであるエンジン・デベロップメント社(ジャッド)と当時のインディカー用のV型8気筒2.65リッターターボエンジンの共同開発契約を結ぶ。これはF2用のV型6気筒エンジンに2気筒足せば2.65リッターになると言う思いつきから生まれたものである。
1985年、インディ用エンジン完成後、ホンダとしてはF1に集中するためインディー参戦はしないということで契約を打ち切る代わりに、そのエンジンに関する権利を全てジャッドに譲った。この時完成したエンジンが「ジャッドAV」である。しかしこの話はこれで終わりではなく、ホンダはこのエンジンを作り替えることでF3000用にしようと画策。これによりF3000用エンジンの共同開発契約が結ばれることとなる。この結果「ジャッドAV」のストロークを上げて3.0リッターにした「ジャッドBV」が誕生した。
1986年、「ホンダRA386E」と改称された「ジャッドBV」はラルトに搭載されて国際F3000選手権にデビューする。
1987年、日本に送られた「ジャッドBV」は本田技術研究所(和光)でチューンされ、「ホンダRA387E」としてインターF3000(この年の全日本選手権はF2からF3000への移行期で選手権が不成立となっている)に供給される。
[編集] MF308誕生
全日本F2選手権時代、ハートやBMWエンジンに圧勝したホンダはエンジン供給枠を制限していた。これに対してヤマハは希望者全てにエンジンを供給していたため、ホンダは非難をあびることになる。この時の反省から全日本選手権がF2からF3000へ移行するのを受けて「ホンダRA387E」を「日本のコスワースを目指したい」無限に委ねる。ここで一般供給を前提とした設計変更を受けているものの、仕様はRA387Eとほぼ同じとされた「無限MF308」が誕生する。
1988年、全日本F3000選手権へ供給を開始され開幕戦で星野一義のドライブによりデビューウィンを飾る。この年の戦績は全8戦中5勝。
[編集] MF308引退まで
1988年に供給開始されたMF308は東名エンジン、尾川自動車ら国内のエンジンチューナの手により各チームへデリバリーされる。メンテナンスとチューンもそれぞれのチューナー毎に行われていた。また無限自身も先行開発のためにチューナーとして参加していた。1988年にはコスワース・ヤマハOX77、1989年からはフォード・コスワースDFV(どちらもケン・マツウラレーシングサービスチューン)と争う。国内デビュー後国際F3000へも供給されるが、1996年にコスワースACのワンメイクとなったため撤退。
1991年と1993年にケン・マツウラレーシングサービスのDFVにチャンピオンエンジンの座を奪われる。
1996年、全日本F3000選手権が全日本選手権フォーミュラ・ニッポンと改称。この年からケン・マツウラレーシングサービスがMF308のデリバリーを開始する。
1998年からは事実上のワンメイクとなる。
2005年、シリンダーブロックの鋳型の消耗が激しく、今後長期に渡る供給が困難になる可能性があることを理由にフォーミュラ・ニッポンへの供給を終了。全日本F3000~フォーミュラ・ニッポンの通算成績は172戦161勝。
なおこの間、無限自身や各チューナーにより絶え間ない改良が加えられており、基本性能に関わる部分は無限が開発・テストを行ない、その他はチューナー毎に改良していた。中にはボアを88mmにしてショートストローク化したものも存在し、最終戦まで使用されている。最終的に最高出力は約500ps、最大トルク約42kg-mまで高められた。他にお蔵入りとなったものとして、規則で禁止された可変管長給気システム(F1に端を発する回転数に応じて給気ファンネルの長さを変えるシステム)や煮詰めきれなかったバタフライ式スロットル等も試されている。無限がF1活動を行っていた時期にはMF308を使っての先行開発も行われている。
[編集] MF308の特徴
MF308はDOHCながらロッカーアームを介して吸排気バルブを作動させる方式を採用していた。通常DOHCエンジンはカムシャフトがバルブを直接押す「直押し」が主流で、MF308はレース用エンジンとしては極めて珍しいと言える。ロッカーアームはカムシャフトのプロファイルに関係なくバルブリフト量を決定することができるため、回転数を9000回転に制限されているF3000の規定ではかえって好都合だったようである。しかし反面シリンダーヘッドが大きくなり、フォーミュラーカーの車体後半部分を支える構造体となることを考えると剛性不足になりがちであった。
[編集] 参考文献
- 大串信、「まぼろしのINDY計画(後編)」、『Racing On』No.390、株式会社イデア、2005年。
- Kojiro Ishii、「惜別のとき 無限MF308」、『Racing On』No.399、株式会社イデア、2006年。