閉伊郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
閉伊郡(へいぐん)は陸奥国北東部の郡、馬の産地として知られた。
続日本紀の霊亀元年 (715年) の記事に見られる「閇村」、日本後紀の弘仁2年 (811年) の記事に見られる「幣伊村」が後の閉伊郡につながるものとされる。
後年に成立した文献 (奥南落穂集) ではあるが、12世紀後半になると藤原秀衡配下の人間として閉伊何某の人名が見られ、奥州合戦後の地頭の就任記事のなかに閉伊郡の名が見られる。
江戸時代になると盛岡藩の記録に石高や属する村名が見られる (元禄南部郡村高帳等)。
明治4年 (1871年) の廃藩置県の際には盛岡県の一部となった。明治5年 (1872年) には盛岡県の改称に伴い岩手県閉伊郡となる。明治11年 (1878年) 東西南北中の5郡に分割され消滅した。