鄭潔
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鄭 潔(チェン・ジィ、英語表記: Zheng Jie , 1983年7月5日 - )は、中華人民共和国・四川省成都出身の女子プロテニス選手。同僚の晏紫とペアを組んで、2006年の全豪オープン女子ダブルスで初優勝を飾り、中国のテニス選手として最初の4大大会優勝者に輝いた。WTAツアーでは、ダブルスで2006年全豪オープンを含む6勝を挙げ、シングルスでも2勝がある。自己最高ランキングはシングルス42位、ダブルス13位。晏紫に比べると、鄭潔はシングルスでも好成績を出している。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。身長164cm、体重57kg。
2000年にプロ入り。鄭潔が中国国外のトーナメントに初参加したのは、2001年7月前半のアメリカ・カリフォルニア州「ロス・ガトス」の大会であった。2002年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップの中国代表選手となり、国外のテニス大会に活動の場を広げる。同年5月に福岡のトーナメントで初来日し、本戦の準々決勝まで進出した。2003年は「ジャパン・オープン」でベスト4進出があるが、この時は準々決勝で同僚の晏紫との“中国対決”を制した後、準決勝で当時16歳のマリア・シャラポワに敗れている。シャラポワにとっては、これがWTAツアー初優勝の大会だった。2004年の全仏オープン女子シングルスで、鄭潔は中国出身の女子テニス選手として史上初のベスト16入りを達成した。その4回戦では、アルゼンチンのパオラ・スアレスに 4-6, 5-7 で敗れている。
2004年のアテネ五輪でテニスの中国代表選手に選ばれた時、女子ダブルスには鄭潔&晏紫の組と、李婷と孫甜甜組の2組を送り出した。このアテネ五輪では李婷&孫甜甜組が女子ダブルスの金メダルを獲得し、中国に初めてのテニス金メダルをもたらした。それから1年半後、2006年の全豪オープン女子ダブルスでは、鄭潔&晏紫の組が第12シードから勝ち上がった。2人のダブルスは、リターンの時に「2人とも後ろに並ぶ」スタイルで、世界の標準的なダブルスとは大きく異なる。これが対戦相手を戸惑わせ、2人は準決勝で浅越しのぶとカタリナ・スレボトニク(スロベニア)組に 6-2, 7-6 で勝ち、決勝では第1シードのリサ・レイモンド(アメリカ)&サマンサ・ストーサー(オーストラリア)組を 2-6, 7-6, 6-3 の逆転で破り、中国に史上初のテニス4大大会タイトルをもたらした。これで、中国女子テニスからは2組のダブルス・ペアが世界の頂点に立ったことになる。
全豪オープン女子ダブルスで優勝を飾った後、鄭潔は5月第1週にポルトガル・エストリル大会の決勝で同じ中国の李娜を 6-7, 7-5 (李娜の途中棄権)で破り、WTAツアーのシングルスで2勝目を挙げた。その後、ウィンブルドンでも中国テニス界は大きな躍進を見せる。鄭潔は女子シングルス3回戦でキム・クライシュテルスに敗れたが、李娜が中国選手として史上初のベスト8に進出し、鄭潔が持っていた2004年全仏オープン4回戦進出の記録を更新した。
中華人民共和国もこれまでテニス選手がほとんどいなかった国の1つであるが、2008年の北京五輪に照準を合わせ、テニスのダブルスの強化にも力を入れているという。