浅越しのぶ
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浅越 しのぶ(あさごえ しのぶ、英語表記:Shinobu Asagoe, 1976年6月28日 - )は、兵庫県出身の元女子プロテニス選手。
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[編集] 人物・来歴
身長170cm、体重57kg。血液型 : B型。 右利き、バックハンドストロークは両手打ち。 園田学園高等学校卒業。 WTAツアーの自己最高ランキングはシングルス21位、ダブルス18位。女子ツアーの仲間たちからは Shii-chan (シーちゃん)という愛称で呼ばれている。
プロとしてはかなり遅く、園田学園中学校へ入学してからテニスを始めた。高校では伊達公子と同じ小浦武志コーチに指導を受け、「伊達2世」と呼ばれる。(園田学園は中高一貫校で、浅越は中学からここに通ったが、先輩の伊達は高校からの入学であった。) 園田学園女子大学を中退し、1997年にプロ転向。4大大会(全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン、全米オープンのこと)の本戦初勝利は、2000年ウィンブルドンの2回戦進出であった。同年度の全米オープンでは2回戦で元世界ランキング7位のパティ・シュナイダー(スイス)を破り、3回戦に進出する。
その後しばらく伸び悩んだが、2003年に急成長を果たす。2つのダブルスタイトルを獲得し、WTAツアー初優勝。ウィンブルドン直前の前哨戦である「DFSクラシック」で準優勝し、ウィンブルドンでは2回戦で世界ランキング9位(当時)のダニエラ・ハンチュコワ(スロバキア)を第1セット 0-6 の状態から第2セット 6-4、さらに最終セットには相手のマッチポイントを3回跳ね返し、セットを 12-10 で勝ち取り死闘を制し、その勢いでノーシードながら4回戦(ベスト16)に進出し注目を浴びる。また、ノーシードで臨んだ同年度の全米オープンでも初戦で第10シードのマグダレナ・マレーバ(ブルガリア)を撃破し、3回戦まで進出した。(それ以後、ハンチュコワは浅越に苦手意識が強くなっている。)
2004年度はオリンピック直前のTier I(ティア・ワン、準グランドスラム級の規模)の大会である「カナディアン・オープン」で杉山愛とのペアでダブルス優勝し、ビッグタイトルを獲得する。その後のアテネオリンピックでは、ダブルスベスト4と大活躍した。4大大会では全仏1回戦で再びハンチュコワを破り、2回戦で第16シードのパティ・シュナイダーと強豪選手を連破した後、セリーナ・ウィリアムズとの4回戦(ベスト16)まで進出した。特に2004年の全米オープンでは、世界ランキング60位でノーシードながら、初戦で第24シード、3回戦でダブルス世界ランキング2位の強豪第13シードのパオラ・スアレス(アルゼンチン)、さらに4回戦で第29シードを撃破。自身初の4大大会ベスト8進出を果たし、世界的に知られるようになる。2005年度は全豪オープンの前哨戦であるニュージーランド・オークランドの大会でシングルス準優勝、ダブルス優勝を果たした。
4大大会では厳しい状況ほど実力を発揮し逆転勝ちをするテニスでシード選手を次々と撃破し、今ではシードキラー的存在である。また、2005年夏にはシングルス自己最高ランキング「21位」を記録し、初めて杉山愛を抜いた。
ダブルスでは、2005年からスロベニアのカタリナ・スレボトニクとペアを組んで好成績を出している。2006年の全豪オープン女子ダブルスで、浅越とスレボトニクの組は初めてベスト4進出を果たしたが、準決勝で中国のペアの晏紫&鄭潔組に 2-6, 6-7 で敗れた。
2006年10月6日引退を発表。
[編集] 成績
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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