豊田佐吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
豊田 佐吉(とよだ さきち、1867年3月19日(慶応3年2月14日) - 1930年(昭和5年)10月30日)は、豊田自動織機の創業者。遠江国山口村(現・静岡県湖西市)出身。
目次 |
[編集] 来歴・人物
父・伊吉は大工であり、佐吉も後を継ぎ大工になったが、母が朝から晩まで機織りの重労働に苦労している姿を見て、「少しでも母を楽にさせたい」「国の為に何が出来るか」を模索するようになり、発明家への道を志すようになる。
1890年に東京での内国勧業博覧会にて外国製織機を見て、独力で「豊田式木製人力織機」を発明。この「木製人力織機」はコストの安い木を多用して当時まだまだ高価だった金属類は必要最小限に抑えた為、当時主流だった外国産の機械より一桁安い価格で瞬く間にシェアを広げた(この無駄を抑える発想は後の『トヨタ生産方式』の原点となる)。
1893年にたみと結婚し、翌年には長男喜一郎(のちに「トヨタ自動車工業」を創業)が誕生したが、直後に妻たみは姿を消す。1896年「豊田式汽力織機」を発明。1897年に浅子 と再婚し、1899年に長女愛子(のちに「トヨタ自動車工業」初代社長となる利三郎を養子にむかえる)が誕生。1902年に豊田商会を設立、今日のトヨタグループの礎を築く。藍綬褒章を2回受賞した。
なお、通説では1924年に「G型無停止杼替式豊田自動織機」を発明したとされるが、完成当時は1921年に中国・上海租界に設立した豊田紡績廠の経営に力を注いでいる。なお和田一夫著の『豊田喜一郎伝』によると、G型無停止杼換式豊田自動織機は、実は長男喜一郎が開発を手掛けていた。1930年10月30日死去。享年63。甥はトヨタ自動車第5代社長の豊田英二(現・最高顧問)。孫は第6代社長の豊田章一郎(現・名誉会長)と第7代社長の豊田達郎(現・相談役)。
[編集] 関連書籍
- 豊田喜一郎伝(和田一夫 由井常彦 トヨタ自動車歴史文化部 名古屋大学出版会)
- 「G型無停止杼換式豊田自動織機は、実は豊田佐吉ではなく豊田喜一郎が開発を手掛けていた」など、これまでの“通説”を覆す記載がある。ISBN 4815804303
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- TOYOTA~豊田佐吉記念館~ - トヨタ自動車が設立。静岡県湖西市。