言語学と個別言語学
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言語学と個別言語学 (げんごがくとこべつげんごがく、ドイツ語:Sprachwissenschaft und Einzelsprachwissenschaft) においては、人間の使用する言語一般についての学である言語学(一般言語学とも呼ぶ)と、個別言語についての学である個別言語学の違いを説明する。
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[編集] 言語学
言語学(英語:Linguistics,ドイツ語:Sprachwissenschaft)では、人間の使用する言語に関して、普遍的に観察される現象や規則を研究する。言語とは、個人と個人、あるいは個人と集団等のあいだのコミュニケーションの手段として使用されるという現象事実がある。このことより、ソスュールが明らかにしたように、表現記号/能記(signifiant)と表現意味/所記(signifié)のあいだの恣意的結合などが、言語学が観察する現象であり、見出した規則である。
言語学が研究するのは人間の言語であるが、個別言語において観察される様々な構造や特徴を越えて、個別言語を横断したところで成立する規則性や構造を問題とする。
[編集] 個別言語学
個別言語学(ドイツ語:Eizelsprachwissenschaft)は、言語学と同様に、人間の言語を研究対象とするが、それぞれの個別言語について、特定の個別言語に特徴的な規則や構造等を研究する。
個別言語学という総合的な学問(Wissenschaft)が存在する訳ではなく、それぞれの個別言語に関する学の総称的名称として、「個別言語学」という言葉が措定される。
[編集] 個別言語の研究の学
このような個別言語個々の研究の学としては、例えば、日本語学やフランス語学、英語学やサンスクリット学などが存在する。
言語学は、歴史的には、個別言語の研究の学として出発しており、古代のサンスクリット文法の系統的研究や、古代ギリシア語、ラテン語等の文法研究と修辞学などが、言語学の初期のありようであった。
[編集] 比較言語学と語族
18世紀後葉に、インドの古典語であるサンスクリットの文法と西欧の言語の文法構造が類似している事実から、両者のあいだの相関関係が認識され、共通の「祖語」よりの歴史的分化によって、様々な言語が派生したのではないかとの説が立てられた。
このような考え方は、19世紀になって、様々な西欧語における文法をはじめとして、音韻や語彙の比較研究に展開し、個別言語を横断的に、比較的に研究する比較言語学の誕生を見た。
ヨーロッパにおいて主要な複数言語と、インド亜大陸北部において主要な複数言語は、比較言語学の研究より、共通の祖語から歴史的に分化した言語であると考えられ、このようにして仮定される「共通祖語」から分化した言語全体の類を、語族(Language family)と呼び、ヨーロッパとインド北部の言語群全体は、「インド・ヨーロッパ語族」という大きな言語の分類集団に属すると考えられた。
同様な研究方法、すなわち比較言語学の方法で、世界中に存在する様々な個別言語を比較研究することで、個別言語を、各種の「語族」にまとめて分類する系統研究が成立した。
こうして、インド亜大陸南部に分布する複数の言語は、ドラヴィダ語族という言語の類に分類され、西欧で古くから知られていた、ヘブライ語、アラビア語、アラム語などは、セム語族に分類され、この分類は、近年では、アフロ・アジア語族として纏められている。
[編集] 比較言語学の限界
しかし、世界中の言語を比較言語学の手法で研究することには、無理があることが判明した。語族の枠を越えて成立する混成言語(クレオール等)の現象は、共通祖語からの派生あるいは分化として個別言語を把握する比較言語学の原則が適用困難であることを示している。
比較言語学による語族系統分類の研究方法がうまく機能しない例は、日本語や朝鮮語に見て取ることができる。このように系統分類が成功しない個別言語を、孤立言語という分類枠に入れるのは、帰属する本来の語族がかつて存在し、しかる後に、姉妹言語の消滅で、「孤立した」との解釈を行っているとも取れるが、元々帰属する語族などは存在しなかったという可能性がある。
[編集] 言語学と個別言語学
このようにして、言語一般の研究の学である言語学が、比較言語の系統分類研究において、それぞれの個別言語の特徴や規則を、言語の一般則の個別例と見なすことで、個別言語学を、部分学(下位学問)として包摂することは困難であることになる。
屈折言語であるラテン語や古代ギリシア語においては、「文法格」の概念は必須である。しかし、日本語においては、確かに「意味的に」類似した機能と見える「格助詞」接尾辞が存在するが、文法格の概念は必須ではなく、むしろ、個別言語学としての日本語学では、文法格の概念は、徒に日本語の研究の妨げにもなっていると言える。
学としての言語学と、同じく学としての個別言語学は、ときに共通する研究対象を持つが、学問としては別のシステムであり、両者は峻別する必要がある。
[編集] 個別言語の成立の条件
個別言語学の前提には、その研究対象である個別言語の存在と、その範囲の確定がなくてはならない。しかし、個別言語とは何かという定義の根幹にも関わる問題として、個別言語と方言の区別の規準、あるいは、個別言語の変種は、どこまで変種化が進行すれば、別個の個別言語となるのかの規準の問題がある。
個別言語と考えられる言語システムとその方言と見なされる言語のシステム、あるいは、個別言語とその変種システムのあいだの比較においては、「言語的事実」として、区別が存在する場合と、存在しない場合がありえる。
人間の言語は、人間の社会におけるシステム現象であれば、ある社会集団における個別言語の認知と、別の社会集団における個別言語の認知は、異なっていても、これもまた「言語的事実」である。それ故、当然のことであるが、社会での認知を離れた、「普遍的で、客観的に定義される個別言語」は存在しないが、しかし同時に、同じ言語的事実において、個別言語はまた社会に認知されて存在していると言える。
このような意味で、個別言語は成立しており存在している。また、その研究の学としての個別言語学も、個々の個別言語について成立している。