出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西河翔吾 |
名前 |
愛称 |
|
カタカナ |
ニシカワ ショウゴ |
ラテン文字表記 |
NISHIKAWA Shogo |
基本情報 |
国籍 |
日本 |
誕生日 |
1983年7月1日 |
出身地 |
広島県広島市中区 |
身長 |
181cm |
体重 |
72kg |
血液型 |
O型 |
選手情報 |
在籍チーム |
徳島ヴォルティス |
ポジション |
DF |
背番号 |
33 |
|
■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
西河 翔吾(にしかわ しょうご、1983年7月1日 - )は、広島県広島市中区舟入出身の徳島ヴォルティス所属のサッカー選手(DF)。空中戦の強さに定評がある。
[編集] 経歴
中学時代は木村和司・田坂和昭・森島寛晃・吉田康弘・畑喜美夫を生み出した大河FCでサッカーをし、このころからDFとしてプレーしだした。市立沼田高から広島修道大学商学部に進学。
転機となったのは2003年、天皇杯広島県予選にあたる全広島サッカー選手権大会で、当時高校世代最強と言われたサンフレッチェ広島ユースと対戦した際に、足立修スカウトの目に留まりサンフレッチェ広島の練習に参加。広島監督であった小野剛にも認められ、翌2004年に特別指定選手となる。同年12月には広島修道大学の主力として全日本大学サッカー選手権大会に出場し、1回戦で筑波大学と対戦、チームは敗れはしたが、当時筑波に所属していた平山相太を完璧に抑えた。その後シーズン終了後に現役大学生のままプロ契約を交わし晴れてJリーガーとなった。
2005年終盤にはレギュラーとして活躍、2006年3月には広島修道大学も無事卒業し、更なる活躍を期待されるも出場機会が激減。出場機会を求め同年9月、J2最下位に沈み即戦力DFを求めていた徳島ヴォルティスへ期限付き移籍した。移籍後、見事にセンターバックの定位置を獲得し、徳島のなくてはならない主力選手として活躍している。
[編集] エピソード
- 城咲仁似の非常に甘いマスクで女性に人気がある。また微笑みの貴公子とまで言われることがある。
- 通っていた広島修道大学とサンフレッチェ広島のホームスタジアムである広島ビッグアーチはすぐ向かいにあるため、西河が広島ビッグアーチで出場するとひときわ大きな拍手が起こっていた。
- 2002年頃にはビッグアーチでボールボーイをしていた。
[編集] 選手経歴
[編集] 経歴・タイトル
[編集] 出場大会
[編集] 戦歴
[編集] 通算成績
年度 |
チーム |
リーグ |
背番号 |
リーグ戦 |
カップ戦 |
天皇杯 |
J1 |
J2 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
2004年 |
広島 |
J1 |
34 |
5 |
0 |
- |
1 |
0 |
0 |
0 |
2005年 |
広島 |
J1 |
22 |
13 |
0 |
- |
0 |
0 |
2 |
0 |
2006年 |
広島 |
J1 |
22 |
2 |
0 |
- |
3 |
0 |
- |
徳島 |
J2 |
33 |
- |
8 |
0 |
- |
1 |
0 |
通算 |
20 |
0 |
8 |
0 |
4 |
0 |
3 |
0 |
[編集] 関連項目
[編集] 関連リンク