平山相太
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平山 相太(ひらやま そうた、1985年6月6日- 福岡県北九州市出身)は、日本のサッカー選手。ポジションはフォワード。Jリーグ・ディビション1のFC東京に所属。長崎県立国見高等学校卒業。
女優・タレントの斉川あいと生年月日が同じ。
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[編集] 経歴
小学校2年の頃よりサッカーを始め、当時より抜きん出た体格と素質を示す。高校サッカーの名門、国見高校に入学後もエースとして活躍し、2003年度全国高校サッカー選手権大会で長崎県代表・国見高の中心選手として得点を量産。大会史上初の2年連続得点王を引っさげ、18歳で2003年の20歳以下のワールドカップである、ワールドユース・UAE大会に抜擢され、2004年アテネオリンピックアジア最終予選でも高校生として唯一選抜されて活躍した。
高校卒業後は、Jリーグだけでなくヨーロッパの強豪クラブからも誘いが来ていたものの、国見高校の恩師小嶺忠敏監督のアドバイスもあり全てのオファーを断って2004年4月に筑波大学に進学。この行動は関係者の間で賛否両論を呼んだ。
2004年2月8日開催の国際親善試合(キリンチャレンジ)・U-23イラン戦でU-23日本代表初先発し初ゴールを挙げる。同年8月、19歳でアテネオリンピックに出場。グループリーグ全3戦を戦ったが、1勝2敗で決勝リーグ進出はならなかった。
2005年6月には、自身2度目のFIFA U-20ワールドカップ・オランダ大会に主力メンバーとして出場し、チームの成績は振るわなかったものの1得点を挙げる。
2005年7月、オランダリーグの強豪・フェイエノールトの練習生として短期留学。その後8月にこのシーズンから1部入りしたヘラクレス・アルメロに3年間契約で入団することが決まり、筑波大学を休学する事になる。
2005年8月20日、オランダでのデビュー戦となったADOデン・ハーグ戦は後半途中から投入。出場から2分後、味方のフリーキックから頭で押し込みプロ初ゴールを挙げ、その後コーナーキックの折り返しを再び頭で合わせて2点目をもぎ取る。デビュー戦でチームを逆転勝利に導いた。同年11月20日には、RBC戦で見事な個人技からのボレーシュートを決め、現地のサッカー番組の中でベストゴールにノミネートされた。2005-06シーズンは途中出場も多い中、チーム最多の8ゴールを挙げる活躍だった。
2006年1月27日、FIFAが選出する「ベスト・ヤング・プレーヤー・オブ・ワールドカップ2006」にノミネート。4月30日には、サッカーに専念するため、休学中であった筑波大学を自主退学。プロサッカー選手としてのキャリアに専念することとなった。オフにはポジション争いをしていたタメルスの放出によりさらなる飛躍が期待されたが、欧州の移籍期限終了後の9月5日、所属していたヘラクレス・アルメロを「ホームシック」を理由に突然退団。退団の際の代理人探しは母親が奔走したとのこと。ただその母親はプレーに対して苦言を呈するなど、時折親としての厳しさを見せている。
日本に帰国後にはJの複数のチームからオファーが殺到。「Jリーグと学業の両立」・「試合に出られるクラブ」を条件に絞込み、9月10日、FC東京に加入が決まった。しかし、ヘラクレス側は平山のこの行動を不服とし、「説明が無い限り(公式戦出場に必要な)国際移籍証明書を発行しない。」という声明を発表したが、期限前に証明書は発行され、無事に今季のJリーグの試合に出られる運びとなった。またオファーが殺到したことに対して「ホームシックで解雇されたような選手が争奪戦になるのは日本サッカーのレベルの低さを露呈している」と揶揄されたり、国際移籍証明書がなかなか発行されず、日本サッカー協会が締め切り期限を1日延長したことで、たった1人の選手ために期限を延ばすのかという声が上がったりもした。
海外経験を期待される反面、帰国理由への不安など様々な意味で大きな注目を集めた。9月30日の対アルビレックス新潟戦でJリーグデビュー(スタメン出場)したが、体調管理不足による動きの悪さ、運動量の少なさなど多数の指摘を受けた。だが翌日になると800万円相当のBMW車を購入する。その自他共に認める“遊び人”という一面も重なってか、サッカーに対する熱心さ、直向さが足りないのではと揶揄されるなど多方面から多くの課題を提示される苦いスタートとなった。
10月7日の対名古屋グランパス戦で初ゴールを挙げた。ゴール後、スポンサーの三井住友海上の看板を蹴り壊し、クラブに損害請求される珍事が起こった。本人曰く「あんな簡単に壊れるとは思わなかった」。後にインタビューで推定15万円を払ったと暴露した。
10月25日、国立競技場で行われた対U-21中国代表との親善試合では、終始動きが鈍くプレーに精細を欠きながらも、後半にキーパーと交錯したボールを手で押し込み、ゴールを決め、相手チームの監督からはマラドーナスタイルにやられてしまったと揶揄された。またゴールを決めた際の投げキスのパフォーマンスは所属するFC東京の選手達から「キモい」と一様に非難を浴びた。
12月に髪の毛を赤に染めた。だが、赤は浦和レッズのクラブカラーとして定着しており、更に間の悪いことに染めたのが浦和戦の直前だった事からこれを見た倉又監督は呆れ顔だったと各紙で報じられた。
[編集] プレイスタイル
日本人離れした190cm超の長身で精度の高いヘディングシュートが最大の武器。並の身長の選手なら届かない位置のボールをトラップし、前線で攻撃の基点を作るポストワークも得意とする。しかし、FWとしては致命的なスピード不足が弱点で、運動量もそれほど多くない。そのため、味方は平山の高さを生かそうと必然的にロングボール主体の攻撃に終始するため、「平山がいると戦術プランが崩壊する。」と言われることも。
[編集] エピソード
- 国見高校から付き合いがあるアビスパ福岡の中村北斗は親友で公私ともに親交がある。身長差がかなりあるためデコボココンビとして有名。
- FC東京の練習中に鼻の穴に指を突っ込んでいたところを取材カメラが激写し、それ以来、某掲示板で当時甲子園を沸かした早稲田実業学校の斎藤佑樹投手にちなんでハンカチ王子ならぬ、ハナクソ王子というひどいあだ名がつけられた。
- 好きな女性のタイプは年上でサッカーを知らない人、芸能人だと相田翔子が理想らしい。
[編集] 代表歴
- 2002年 U-18日本代表 一次予選(6得点)
- 2003年 U-19日本代表
- 2003年 U-20日本代表 ワールドユース・UAE大会(ベスト8)
- 2003年 U-22日本代表 アテネ五輪アジア最終予選(6試合中5試合出場)
- 2004年 U-23日本代表 アテネオリンピック (グループリーグ敗退)
- 2005年 U-20日本代表 FIFA U-20ワールドカップ・オランダ大会(ベスト16)
- 2006年 U-21日本代表
[編集] 所属クラブ
[編集] 戦歴
[編集] Jリーグ通算成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||||
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J・J1 | J2 | ||||||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
2006年 | FC東京 | J1 | 39 | 7 | 2 | - | - | 0 | 0 | ||
通算 | 7 | 2 | - | 0 | 0 | 2 | 0 |
[編集] 平山世代
平山相太を筆頭に同年代の選手(増嶋竜也、カレン・ロバート、水本裕貴など)を総称して、『平山世代』と呼ばれている。
[編集] 外部リンク
FC東京 - 2007 |
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1 土肥洋一 | 2 茂庭照幸 | 5 増嶋竜也 | 6 今野泰幸 | 7 浅利悟 | 8 藤山竜仁 | 9 ルーカス | 11 阿部吉朗 | 13 戸田光洋 | 14 馬場憂太 | 15 鈴木規郎 | 16 宮沢正史 | 17 金沢浄 | 18 石川直宏 | 19 伊野波雅彦 | 20 川口信男 | 22 塩田仁史 | 23 梶山陽平 | 24 赤嶺真吾 | 25 徳永悠平 | 26 池上礼一 | 27 栗澤僚一 | 29 ワシントン | 30 松尾直人 | 33 小澤竜己 | 35 リチェーリ | 36 吉本一謙 | 37 権田修一 | 38 中澤聡太 | 39 平山相太 | 監督 原博実 | クラブ | |
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