藤森照信
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藤森 照信(ふじもり てるのぶ、1946年 - )は、日本の建築史家、建築家。東京大学生産技術研究所教授。工学博士。
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[編集] 経歴
長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て東北大学工学部建築学科卒業(元オフコースの小田和正と同期)。東京大学大学院および生産技術研究所で村松貞次郎に師事し、近代日本建築史を研究した。
1974年、研究仲間と建築探偵団を結成、やがて全国の研究者と協働で各地に残る近代洋風建築の調査を行う。その過程で関東大震災後に多く建てられた一見洋風の店舗兼住宅群に着目し、看板建築と命名した。1979年、博士論文「明治期における都市計画の歴史的研究」を提出。
1984年頃から一般誌向けに西洋館をテーマにした多くのエッセイを書くようになり、写真家の増田彰久とコンビの著作も多くなる。 1986年には赤瀬川原平、南伸坊らと路上観察学会を結成した。設計作品では自然の素材を大胆に使い、赤瀬川邸(ニラハウス)や自邸(タンポポハウス)なども話題になる。近年では国内に留まらずアジア各国に研究のフィールドを広げており、その成果が「全調査東アジア近代の都市と建築」である。
2006年9月開催の、第10回ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展に出展する日本館のコミッショナーに就任すると発表された。またBSフジ明治・大正・昭和の建築~日本の近代化遺産~の番組解説、監修を努めた。
[編集] その他
辰野金吾の東京駅はアムステルダム中央駅を模倣したもの、とよく言われるが、藤森は「建築探偵雨天決行」において否定説を唱えている。
[編集] 主な著作
- 「明治の洋風建築」(1974年、村松貞次郎編)
- 「国家のデザイン」(1979年)
- 「明治の東京計画」(1982年)
- 「建築探偵の冒険・東京編」(1986年)
- 「路上観察学入門」(1986年、共著)
- 「昭和住宅物語」(1990年)
- 「日本の近代建築」(1993年)
- 「全調査東アジア近代の都市と建築」(1996年、共著)
- 「家をつくることは快楽である」(1998年)
- 「タンポポ・ハウスのできるまで 」(1999年)
- 「天下無双の建築学入門 」(2001年)
- 「歴史遺産日本の洋館」(2002-2003年)
- 「藤森照信の原・現代住宅再見 」(2002年)
- 「藤森照信の原・現代住宅再見2 」(2003年)
- 「丹下健三」(2003年)
- 「藤森照信の特選美術館三昧 」(2004年)
- 「人類と建築の歴史」(2005年)
- 「藤森流 自然素材の使い方」(2005年)
[編集] 建築作品
- 神長官守矢史料館 (長野県茅野市/1991年)
- タンポポ・ハウス (東京都国分寺市/1995年)
- ニラハウス (東京都町田市/1997年)
- 一本松ハウス (福岡県福岡市/1998年)
- 秋野不矩美術館 (静岡県浜松市/1998年)
- 熊本県立農業大学校学生寮 (熊本県菊池郡/2000年)
- 赤瀬川家の墓 (神奈川県鎌倉市/2000年)
- ツバキ城 (東京都大島町/2000年)
- ザ・フォーラム (新潟県妙高市)
- 不東庵工房 (神奈川県湯河原町/2001年)
- 一夜亭 (神奈川県湯河原町/2003年)
- 矩庵 (京都府下京区/2003年)
- 庭瀬家の墓 (神奈川県鎌倉市/2003年)
- 高過庵 (長野県茅野市/2004年)
- 養老昆虫館 (神奈川県足柄下郡/2005年)
- ラムネ温泉館 (大分県竹田市/2005年)
- 茶室 徹 (山梨県北杜市/2006年)