藤本博史 (内野手)
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藤本 博史(ふじもと ひろし, 1963年11月8日 - )は、昭和後期から平成期(1980年代-1990年代)のプロ野球選手。ポジションは内野手。大阪府出身。
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[編集] 来歴・人物
天理高等学校から1982年に南海ホークスに入団し、1998年シーズン途中にオリックス・ブルーウェーブへ移籍、同年限りで引退。南海・ダイエー時代の背番号は39→5。オリックス時代は1。現在はTVQ九州放送、J SPORTS解説者、西日本スポーツ野球評論家。
長年ホークスの中心打者としてレギュラー出場していた。体格が良く、門田博光以来長距離打者が育たず得点力の弱かったホークスでは毎年長打を期待された。しかし、年間最多本塁打は1992年の20本と、どちらかというと中距離打者であった。非常に右打ちの上手い選手として知られていたものの、長打を狙っての大振りが目立ち、打率も伸び悩んだ。三塁の守備にはやや難があったものの、強力なライバルがおらずレギュラーが安泰であり、競争がなかったという点で、ホークスが万年Bクラスに甘んじていた時代のぬるま湯体質を象徴する選手として見られることもあった。
好打好守の三塁手である松永浩美が加入した1994年にはレギュラーの座を追われた。当初は控えの座に甘んじていたが、藤本の打撃技術を高く買ってきた当時の大田卓司打撃コーチの進言により二塁で起用され守備面でもそれなりの奮闘を見せ、ブライアン・トラックスラーとの一・二塁間はこの年の名物となった。さらに石毛宏典が西武から加入した1995年もレギュラー落ちの危機にあったが、またも大田打撃コーチの進言により西武との開幕戦(西武球場)は石毛に代わって一塁スタメンで起用され、9回表に潮崎哲也から豪快な本塁打を放っている。
後に、右打ちの達人として知られた大道典嘉は、現役時代の藤本のバッティングを参考に自身のスタイルを築き上げた。
1998年オフにオリックスで引退後は慣れ親しんだ福岡に戻り、1999年からTVQ野球解説者に転進。ホークス選手のことを熟知しており、現役時代のエピソードを交えた解説もあってホークスファンの人気を博した。この年は福岡移転後初優勝の快挙を成し遂げ、解説席から王貞治監督の胴上げを見ていた藤本は「輪の中に入りたい」と語っていた。
「ここまで飛ばせ、ホームラン」のヒッティング・マーチはホークスファンの間では非常に有名で、藤本引退後も左の好打者であった若井基安のテーマと並びチャンスの際にしばしば使用されている。
福岡市中央区で、居酒屋「藤もと亭」を経営しており、福岡出身の芸能人やホークス選手も多く訪れる。現役時代の彼のイメージを象徴する口髭と恰幅のよさは2006年現在でも健在。
[編集] 生涯成績
- 試合数:1103
- 打 率:.235
- 本塁打:105
- 打 点:419
- 盗 塁:10
- 四死球:475
- 三 振:697
[編集] エピソード
- ホークスがダイエーに売却され、福岡に移転された直後から藤本はヒゲを生やした。このヒゲが藤本のトレードマークであったが、これは当時彼の祖父が目を悪くし、テレビ中継を見ても誰だか分からない状態だったため、チーム内に髭を生やした選手がいなかったことからすぐに見つけやすいようにという配慮から始まったものである。
- 1998年4月28日の対千葉ロッテマリーンズ戦に出場したが、オリックスへ移籍した直後の試合であったため、ユニフォーム作成が間に合わず、過去オリックスに在籍したタイゲイニー選手のユニフォームを着用していた。