芹澤廣明
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芹澤 廣明(せりざわ ひろあき、1948年1月3日 - )は、神奈川県横浜市港北区出身の作曲家・ミュージシャン・音楽プロデューサーである。
芹澤ヒロ、芹澤廣名義でシングルをリリースしたこともある。※ザ・バロンのデビューより作曲家活動前あたりまでは、河内広明の芸名で活動していたといわれる。
[編集] 経歴
高校時代にバンドを始め、麻生京子とブルー・ファイアのギタリストをしていた幼馴染の清須邦義らと共にザ・バロンを結成し、ギターを担当。
1967年に正式デビューし、尾藤イサオのバックバンドをメインにつとめた。1969年2月には、GSバンドとして独立し、普通にライブ活動を行っていたが、同年6月に、ステージ101のオーディションに合格し、メンバー全員が晴れてヤング101の初期メンバーとなる。以後、清須邦義等が脱退し、自動的に若子内悦郎と2人で「ワカ&ヒロ」を結成。しばらくデュオ活動に専念するが、1975年に解散。
ヤング101の同僚だった惣領泰則らのユニット「ジム・ロック・シンガーズ」に参加。 その後、本名の芹澤廣明名義でチェッカーズの作曲家兼プロデューサーとして大ヒットを放つ。しかし藤井フミヤに対しては数年前週刊誌で恩知らずで強欲だと痛烈に批判している。
現在もコンスタントにアレンジャー、作曲家、音楽プロデューサーとして活躍している。
[編集] 主な楽曲
- 少女A (中森明菜)
- タッチ(岩崎良美)
- テディーボーイ・ブルース(石野陽子)
- し・あ・わ・せ・カーニバル(工藤夕貴)
- ハートを磨くっきゃない(TOKIO)
- 夏の伝説 (とんぼちゃん)
- 真夏のランナー(倉田まり子)
- 蒼いメモリーズ(内海和子)
- 背番号のないエース(ラフ&レディ)
- 何かいい事きっとある (島崎和歌子)
- 東京Suger Town (堀ちえみ)
- Don't you...? (堀江美都子)
- キン肉マン Go Fight !(串田アキラ)
他多数
以下は芹澤本人の曲である(作曲・編曲も芹澤本人)。
- 風のメッセージ
- 星のシルエット
- 永遠のランナー
※チェッカーズについては割愛※