芳賀博信
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芳賀 博信(はが ひろのぶ、1982年12月21日 - )は、コンサドーレ札幌のサッカー選手。ポジションはMF。 ジェフ千葉の下部組織ジェフユナイテッド市原アマチュアからジェフ千葉のトップチームに昇格したアマチュアの星。
2006年に札幌に新加入し、不動のレギュラーとなった。
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[編集] 経歴
仙台育英高では10番を背負い、国民体育大会や高校選手権にも出場した。また元U-16日本代表候補の経験がある。その後、いろいろありJには行けず仙台大学に進学したものの、プロの夢を諦めきれず、仙台大学を中退。セレクションを得て、2003年にジェフユナイテッド市原アマチュアに加入する。
アマチュア時代は、昼間はとび職をしながら夕方に練習をし、週末に地域リーグを戦った。また天皇杯千葉県代表の立役者ともなった。そして2004年の夏ごろから、当時の監督イビチャ・オシムに認められトップチームの練習に参加。そして9月、アマチュアからのトップチーム昇格第1号となった。
トップチーム昇格後、出場の機会を虎視眈々と待ち、11月のヴィッセル神戸戦でJ1初出場を果たした。また、この試合でアシストも記録した。 そして、2005年正式にジェフのトップチームと契約した。ジェフは中盤の選手が揃っていることもあり、公式戦出場はなかったが1年間通しトップチームに在籍しオシムの指導を受けることが出来たのは、大きな財産になった。
その後、サテライトリーグで対戦し芳賀に注目したコンサドーレ札幌からのオファーがあり2006年に完全移籍。
移籍後、すぐに右サイドハーフとしてレギュラーに定着。ゴールこそないものの、2006年のコンサドーレ札幌のメンバーの欠かせない一人に成長した。
[編集] 人物
- 学生時代にはよからぬ噂もあったようだが、いろいろ苦労した経験からか礼儀正しくファンサービス等も心がけている。見た目の風貌に惑わされないように。
- 家族構成は妻と長男の3人家族。オフの日は良いパパのようです。
[編集] プレースタイル
札幌移籍後はサイドハーフに定着したが、高校~千葉時代は主にテクニックを生かしたドリブルや果敢な飛び出し等を行う攻撃的MFであった。千葉入団後には守備能力を飛躍的に向上させボランチをこなせるまでに成長した。 気持ちを表にだす、熱い選手である。
[編集] 所属クラブ
- 1998年-2001年 - 仙台育英高 サッカー部
- 2003年4月-2004年9月 - ジェフユナイテッド市原アマチュア
- 2004年9月-2005年 - ジェフユナイテッド市原/ジェフユナイテッド市原・千葉
- 2006年- - コンサドーレ札幌
[編集] Jリーグ年度別成績
- 初出場 2004/11/20 J1 2nd第13節 (VSヴィッセル神戸)
年度 | チーム | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 |
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2004年 | 市原 | 35 | J1 | 1試合0得点 | 0試合0得点 | 0試合0得点 |
2005年 | 千葉 | 35 | J1 | 0試合0得点 | 0試合0得点 | 0試合0得点 |
2006年 | 札幌 | 18 | J2 | - | ||
通算 | J1 | 1試合0得点 | 0試合0得点 | 0試合0得点 | ||
J2 | - |
コンサドーレ札幌 - 2006 |
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1 林卓人 | 2 岡田佑樹 | 3 西澤淳二 | 4 曽田雄志 | 5 池内友彦 | 6 西嶋弘之 | 7 和波智広 | 8 砂川誠 | 9 石井謙伍 | 10 フッキ | 11 相川進也 | 13 中山元気 | 14 鈴木智樹 | 15 加賀健一 | 16 大塚真司 | 18 芳賀博信 | 19 関隆倫 | 20 上里一将 | 21 金子勇樹 | 22 川崎健太郎 | 23 千葉貴仁 | 25 藤田征也 | 27 西大伍 | 28 高原寿康 | 29 西谷正也 | 30 セバスティアン | 31 佐藤優也 | 監督 柳下正明 | クラブ | |