船越雅史
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船越雅史(ふなこし まさし、1962年4月17日 - )は、日本テレビの元アナウンサー。
[編集] 人物
洛星高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。1986年に日本テレビ入社。
「ズームイン!!サタデー」では、「ボート船越」という愛称で呼ばれている。1986年に入社してからスポーツ中継を中心に担当してきた。2000年の「シドニーオリンピック」のサッカーグループリーグ予選「日本VS南アフリカ」の中継で絶叫アナウンサーとして有名になった。(後述)また、ズームインサタデーのスポーツコーナーでは矢島学アナとのコントをやっている。
- 巨人戦の地方試合で実況を担当するとその地方の方言で実況したこともあった。(大阪ドーム→関西弁、福岡ドーム→福岡弁、長崎→長崎弁)
- 日本テレビ所属のアナウンサーでなおかつ巨人戦の実況を担当していることから巨人ファンと思われがちだが、本人は広島東洋カープのファンだと語っている。幼少の頃、初めてのプロ野球観戦が広島対中日の試合で、広島が勝利して以来のファンだという。広島優勝決定試合の実況は、広島テレビの野球実況を担当する長野正実・藤村直己の両アナウンサーではなく私にやらせて欲しいと懇願し、カープの日本シリーズの実況をできたら「アナウンサーをやめてもいい」とも言っている。
だが東京ドームでの巨人対中日の試合で中日の井端弘和選手がファインプレーをした際に「敵ながら天晴れ」という発言をしたことがある。
スポーツ中継での実況はこれ以外にもあり、サヨナラホームランの時に「グッバイ」と実況したのは有名な話である。
- 箱根駅伝の中継ではセンター実況から中継車、中継所まで全て経験している。2006年の箱根駅伝の中継では、「文字通り」を何度も言っていた。
- 2006年3月20日には野球の国別対抗戦として開催した第1回ワールド・ベースボール・クラシックの決勝戦・
日本VS
キューバを実況、日本優勝と言う記念すべきシーンに立ち会う。その後の大爆笑のシャンパンファイトも実況した。
- 2006年3月4日に行われたアサヒスーパードライ プレゼンツ・ワールド・ベースボール・クラシック アジアラウンドにおいて、台湾代表・林威助(りん・うぇいつう=阪神タイガース)を「りん・うえんつ」と呼び続けていた。
- スポーツの実況中継アナウンサーとしてはエピソードに事欠かないが、プロ野球中継のヒーローインタビューやベンチリポートはシンプルで聞きやすい。
[編集] シドニーオリンピックにおける絶叫実況問題
- オリンピックにおける番組制作はジャパンコンソーシアムとしてNHKや民放各社が共同で制作しており、船越も日本テレビ担当分の実況アナウンサーとして2000年に開催されたシドニーオリンピックに派遣された。
- このうち、2000年9月14日に行われた男子サッカー競技の日本対南アフリカ戦の実況アナウンスを船越が担当したが、日本の高原直泰がゴールを決めた際、興奮して「ゴール!ゴール!ゴール!ゴルゴルゴルゴルゴル・・・」と「ゴール」を29回繰り返し絶叫した。
本人にとっては番組を盛り上げる意図もあったと言われているが、あまりにも独り善がりで耳障りなこの絶叫に対し、日本中の視聴者が一斉に反発、船越とこの中継を放送していた日本テレビに対して非難が集中、BS1で同時放送をしたNHK(海外向けの国際放送は放送権の都合で放送せず。)にも当然ながら抗議の電話が殺到した。当のNHKにとっては謂れ無き非難であり、他局の不始末による被害者ともいえる。
このため、日本テレビを除く他局では試合終了後、再放送あるいは素材等としてこのシーンを放映する際、ゴール直後の船越の絶叫部分を削除、場内の歓声のみに編集・放映。BS1で同時放送して苦情が殺到したNHKは解説と実況を自局のもので入れ直す措置を取ったほどだ。しかしながら、中継を放送した日本テレビは船越の絶叫を消さずに放送した上に、バラエティ番組などでは「すばらしい実況」をしたような扱いをした。また、「笑点」の大喜利で、この「ゴール」の実況音源を流し、それに基づいた出題があった。
[編集] その他のエピソード
- 2006年9月22日発売の写真週刊誌フライデーに、船越が系列局の女性アナウンサーに「悪質なセクハラ」を行い、、チーフ・アナウンサーから降格させられたという記事が掲載される。これを受けて日本テレビは(船越の名前を出さなかったものの)重大な就業規則違反があったとして処分したことを認めている。また、この報道をうけて担当番組を降板したが、セクハラ事件後も報道があるまでは出演を継続していたことや、週刊誌に実名が挙がってからも局側が氏名を公表しなかったことから、放送局の倫理観を問う声も上がった。同年12月1日付で、船越はコンプライアンス推進室に異動。日テレはセクハラ騒動との因果関係を否定しているが、結果としてこのセクハラがアナウンサー生命を縮めたことは言うまでもない。
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