細胞 (政党)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
細胞(さいぼう)とは、共産主義政党などが自らの末端組織を指して使う言葉。
生物の最も基本的な構成単位である。転じて、共産主義を主張する政党の中には、自らの末端組織を細胞と称する例があった。すなわち、自らを生命体になぞらえ、指導部(=頭脳)が全ての活動を規定し、下部党員はその指令に絶対に従うという民主集中制(一体性)の原則を明確に示すために使用された。
ただし、あまりに下部組織の自主性を軽視しているという印象を与えるため、近年では「支部」などの名称を使う例が増えている。
なお、本来の語意である生物学としての「細胞」については、細胞を参照のこと。
目次 |
[編集] 性質と歴史
[編集] 外国の事例
政党の構成単位として「組織」(covert cell) の概念が導入されたのはフランス革命においてであった。その後、無政府主義グループにおいても取り入れられた。
党組織としての細胞がもっとも綿密に張り巡らされたのは、ソビエト連邦共産党である。すなわち、共産党によりあらゆる社会活動が規定されるという原則により、各地域・職場・学校に党員の集合体が設立され、これが細胞と称されることになった。これは党指導部の指令に絶対的に服従し、日常活動を実践するという役割を持っていた。
これは社会全体の掌握には有効な手段と考えられた。そのため、コミンテルンを通じてソ連共産党の指導を受ける各国の共産党や、組織形態では共産党を模倣したとされる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)でも採用された。
現在でも、IRAやアルカーイダなどの政治・テロ組織では「細胞」を使用している。
[編集] 日本における細胞
1945年、第二次世界大戦の敗北で合法化された日本共産党は、戦争への反対を貫いたことなどから支持を拡大した。急増した党員はソ連共産党にならって居住地や職場ごとに組織化され、地区や各都道府県の委員会を通じて中央委員会の指令や統率に服することになった。また、各細胞はその職場や学校などで活発に党の活動を行い、労働運動や学生運動で強い影響力を持った。
特に東京大学細胞では、後に共産党幹部となった上田耕一郎・不破哲三兄弟の他、共産党を離党した渡邉恒雄、氏家齊一郎、堤清二、安東仁兵衛など、その後の日本社会に影響を与える人材を輩出した。
1950年代前半に共産党が武装闘争を展開すると、山村工作隊などの軍事行動についても各細胞が実行部隊として携わることになった。
その後、共産党が議会を重視した平和革命路線に復帰すると、学生を中心に武装闘争の継続を主張する党員の離党が続き、新たな組織を結成した。その中には、共産党と同様に自らの末端組織を細胞と称するグループも現れた。例として、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)では現在でも組織の最小構成単位を細胞と称している。
一方、選挙での議席増加や議会活動の活発化を重視した共産党は、細胞という言葉のイメージを嫌い、自らの末端組織をより一般的な用語である「支部」への改称を行った。現在の共産党は細胞という名称は使用していない。
[編集] 参考リンク
カテゴリ: 共産党 | 政治関連のスタブ項目