石田英司
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石田 英司(いしだ えいじ、1959年7月8日 - )は大阪府大阪市旭区出身の毎日放送(MBS)社員。元・報道局社会部デスクで、現在の役職はテレビ制作局制作一部専任部長。日本でアナウンサーを除けば一番テレビに出演している放送局員。
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[編集] 概要
1978年、大阪府立市岡高校3年3組で、「北風軍団」を結成。文化祭などでは、マンドリンを演奏。卒業後、大阪予備校に通う。当時、アレンジボールに熱中。予備校の近くにあった大阪府立体育会館にボリショイサーカスが来演した際、オリの中の熊にちょっかいを出して反撃され、顔面前2cmのところを熊の爪がかすめたという失敗談をもつ。 ちなみに、同予備校の食堂メニューでは、味の濃い「かつどん」が大好物であった。
上智大学文学部新聞学科卒業後、1984年MBSに入社。入社直後は営業として活躍。特に、ローカルスポンサーを担当した。その後、報道記者として司法、行政の番記者を担当した。TBSの報道番組に、自ら演出・出演。
かねてから、自分の取材したことを出演者に伝える段階の、わずらわしさを感じていた。そのため、1999年よりMBSテレビの情報番組『ちちんぷいぷい』に自らがレギュラー出演、わかりやすいニュース解説で好評を得ている。中でも、いわゆるIT・ネット・おたく関連の話題に関しての的確な解説は、それらのジャンルに縁の遠いレギュラー陣の中でも異彩を放っている。
2002年、日本放送作家協会関西支部関西ディレクターズ大賞特別賞受賞。
2004年2月1日(日)にフェスティバルホールで開催された『ぷいぷい』の放送1000回記念イベント「祝!1000回ちちんぷいぷい大感謝祭」では、同番組パーソナリティの角淳一が舞台に登場したときより会場の拍手の数が多いことを他の出演者に指摘され、彼自身の人気を裏付ける結果となった。実際、「(アナウンサーを除いて)日本で一番たくさんテレビに出演している放送局社員」を自称している。
2005年10月10日(月)に大東市サーティー大ホールで開催された「第一回全日本口笛音楽コンクール」では、小林亜星作曲の『夜が来る』を熱演して第2次審査を通過。この模様は、彼がレギュラー出演する番組「ちちんぷいぷい(2005年10月14日放送分)」はもちろん、同年11月16日放送の「とくダネ!(フジテレビ系列の朝のワイドショー)」でも紹介された。2006年3月12日(日)開催の最終審査では惜しくもグランプリを逃し、2007年4月開催の世界大会「第34回インターナショナルウィスラーコンベンション(米国)」への参加資格を得ることはできなかった。
2006年7月13日(木)に甲子園で行われた阪神対広島戦の始球式に登場。あこがれの阪神甲子園球場のマウンドに立つ。ユニフォームの背番号は4番。これは毎日放送の関西エリアの受信チャンネルである「4ch」を意識したのではなく、大ファンの元・阪神の川藤幸三選手の背番号にちなんだもの。左打席の東出に対し内角高目のボール球を投げるが、矢野捕手からボールを手渡されるときに「いい球でした」と言葉をかけてもらう。ちなみにこの日の阪神は5-2で広島に負け、冗談で「オレが2回2/3位投げた方が良かったんちゃうか?」と。始球式の模様は翌日(7月14日)の「ちちんぷいぷい」で紹介された(ちなみに、始球式担当者の控え室は畳部屋)。7月17日放送の「ちちんぷいぷい増刊号」でもこのシーンが番組の最後に流れ、胆石の手術を終えたばかりの角淳一が「お前が投げるから(阪神は)負けるんや。次は俺が(始球式を)やる」と突っ込んだ(7月13日当日は角が始球式に出場する予定だったが、胆石の手術のため静養していた為、石田が角の"代理"として出場した)。
[編集] その他
- 読売ウイークリー(2005年10月16日号)が実施したアンケート調査、「平成日本の教養人は/この国で最も教養があるのは誰か」において、梅原猛、枡添要一らと並んで第58位にランクインした。
- UFOキャッチャーの腕前は天才的で、小学校時代から近所の銭湯にあるUFOキャッチャーで商品をゲットしては番台に売って儲けていた。「村上ファンドも真っ青」とは本人の弁。愛娘の幼少時代、オモチャ箱の中身はすべて彼がUFOキャッチャーで手に入れたものだったという。
- 日本のフォークシーンに造詣が深く、自ら作詞も手がける。中でも幼馴染の会社員「専務はんとイッシャラ君」の石原治氏(作曲)と即興で作ったラブ(コミック)ソング “ワイパーは間欠(かんけつ)にして” は、MBSの深夜ラジオ番組「月極ラジオ」でもオンエアーされ、一部のファンの間でブレイクした。ただし、この作品は未だ公式にはリリースされておらず、TSUTAYAの店頭にも存在しない。現在も活発なライブ活動を続ける石原治氏のゲスト的な立場として、様々な舞台で歌や口笛を披露することもある。
- 家族は妻、長女がいる。なお、誕生日である7月8日は、ぷいぷい出演者であるなるみと西靖アナと同じ。2005年の誕生日は西靖アナを含む数人でカラオケに行き、祝った。
- ライブドアの上場廃止の前日である2006年4月13日、証券会社でライブドア株を9株購入。そのうち、1株ずつを板東英二氏と西靖アナに売却。
- レギュラー出演しているラジオ番組板東英二金曜生BAN BAN内では、ニュースなどの解説以外に、石田英造(えいぞう)として、週末の競馬予想も行っている。2006年4月以降、ぷいぷい金曜日も午後4時台に石田が担当するコーナーがあるので、裏でオンエアしている板東英二金曜生BAN BANの石田のコーナーは、録音である。
- 上岡龍太郎の弟子でもある大空テントの大ファン(ちなみに2001年11月11日に石田英司がパチンコ好きで11がそろっていて縁起がいいのとテントのギャグ『人間パチンコ』にちなんでサインを貰っている。)
- 「ちちんぷいぷい」番組内にて、ネットゲームのゲーム内通貨を現実の貨幣で取引するRMT(リアルマネートレーディング)で儲けたことを自慢。つい口を滑らせてゲームの規約に反するという社会人としての良識を疑われる行為を告白した事で、脇の甘さを指摘されている。
- ハンバーガーを食べる姿が似合っており、ちちんぷいぷいではミスターハンバーガーと呼ばれることがある。
[編集] 出演番組
- テレビ
- ラジオ
- 月極ラジオ~the open~(2005年8月のパーソナリティ。12月にもリクエスト特集として第二週を担当。共演は市岡高校時代の同級生、元ベーシストのSchatte岩切)
- 板東英二金曜生BAN BAN(金曜日、15:45~17:19、16:50頃出演)
- ゴー傑P(2006年5月13日ゲスト)
- その他、毎日放送のテレビやラジオに不定期出演。
[編集] 関連人物
- ほか
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