白倉伸一郎
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白倉 伸一郎(しらくら しんいちろう、1965年8月3日 - 、東京都出身)は、日本のテレビドラマ・映画プロデューサー。東映所属。
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[編集] プロフィール
- 東京大学文学部第3類(現・言語文化学科)卒。
- 1990年東映入社。入社に際し、面接で岡田茂社長ら当時の役員を前に『仮面ライダーBLACK RX』を批判。その心意気を買われテレビ事業本部(現在の映像本部テレビプロデューサー集団)に配属。
- 1993年、『五星戦隊ダイレンジャー』でプロデューサーに就任。
- 1996年、『超光戦士シャンゼリオン』でチーフプロデューサーに昇格。
- 1997年、東映テレビ部門のウェブサイト開設にあたり、初代ウェブマスターに就任。一時は本業と並行して専門誌にプログラミング関係の論文を投稿。「cron」のHNでMS-DOSプラットフォームのフリーソフトウェアも制作しており、これらはベクターのダウンロードサイトで入手可能。
- 1998年より1年間テレビ朝日に出向。
- 2000年、『仮面ライダークウガ』でプロデューサー補を担当。
- 2001年、『仮面ライダーアギト』でチーフプロデューサーを担当。
[編集] 作風
特撮ドラマの場合、従来の特撮ヒーローが持っていた善悪二元論、勧善懲悪的な論法に対し非常に懐疑的であり、プロデュース作品には「ヒーローであっても俗物である(『超光戦士シャンゼリオン』の主人公、涼村暁など)」或いは「そこには正義も悪もない。人間が生きている、ただそれだけのこと(『仮面ライダー555』の企画書より)」といった、いわゆるヒーロー的な「正義」の概念を否定する要素が含まれることが非常に多い。このあたりは、東映の同僚プロデューサーである髙寺成紀が善悪二元論をドラマのフォーマットとしては肯定しつつ現代的にアレンジする立場をとっているのと対照的といえる。
『仮面ライダー龍騎』『仮面ライダー555』等に見られるように、「設定を固めてこじんまりと綺麗にまとめるよりも、リアルタイムのテレビ番組ならではのライブ感を重視したい」というのが持論であり、話を盛り上げるためには多少の強引なストーリー展開や、基本設定の矛盾も省みない。その為「大風呂敷を広げた末に最後が投げっぱなし」という批判を受ける事が多いが、それ故に生まれる物語のダイナミックな展開には、支持者もまた多くいる。
諸般の事情によりシリーズ中盤からの参加となった『仮面ライダー響鬼』においては、白倉が担当以降、前任であった髙寺が作り上げた世界観からの逸脱を批判するファンと、むしろ髙寺が作り上げた世界観を路線変更をしながらも死守しているとするファンを中心にその是非を巡り議論が発生、インターネットコミュニティ間に大きな波紋を呼んだ(詳細はプロデューサー交代騒動の項を参照)。
これについては、限られた時間&製作予算、さらにはメインターゲットである児童層へのニーズという現実の要求をこなしつつ作品性も追求していこうという立場を獲る反面、上述した従来の特撮ヒーローの王道への懐疑という批判点や、ライブ感覚重視の副作用としての整合性の粗が多いというデメリットも抱える白倉と、丁寧な人物描写や設定厳守に見られるように良質の作品を作ろうとする情熱を持ちつつも、完成度を重視するあまり、現実の諸制約(時間、予算、関連玩具のマーケティングetc.)を省みない髙寺との制作スタイルの相違が根底にあるものと思われる。
[編集] 人物
『仮面ライダーアギト』『仮面ライダー龍騎』『仮面ライダー555』と3作連続で仮面ライダーのチーフプロデューサーを担当し、どれも高い人気と評価を得たが、『555』開始当初の雑誌のコメントで「1年限りだから出来る激務を結果的に3年続けてしまった。このスタッフ(白倉伸一郎、井上敏樹、田崎竜太)で作るライダーはこれが最後。」と発言し、翌年からライダー製作を離れる。しかし『仮面ライダー響鬼』から本格的にライダー製作に復帰。更に『仮面ライダーカブト』では田崎竜太も復帰し、結果的に先述のラスト宣言は撤回となる。
一度つきあったスタッフを大事にし、重用するのも特徴で、特に演出家では長石多可男、佐藤健光、田崎竜太、脚本家では井上敏樹、小林靖子、米村正二、イラストレーター(キャラクターデザイナー)では出渕裕、篠原保、作曲家では安川午朗と非常に懇意にしている。また『シャンゼリオン』以来、特撮ドラマでは、後輩プロデューサーである武部直美と組む事が非常に多い。
[編集] 主な作品
[編集] テレビドラマ
[編集] チーフプロデューサー作品
- 超光戦士シャンゼリオン(1996年)
- 仮面ライダーアギト(2001年)
- 仮面ライダー龍騎(2002年)
- 仮面ライダー555(2003年)
- 美少女戦士セーラームーン(2003年)
- Sh15uya(2004年)
- 仮面ライダー響鬼(2005年) ※第30話より
- 仮面ライダーカブト(2006年)
[編集] サブプロデューサー/プロデューサー補作品
- 鳥人戦隊ジェットマン(1991年)
- 恐竜戦隊ジュウレンジャー(1992年)
- 五星戦隊ダイレンジャー(1993年)
- ガラスの仮面(1998年) ※テレビ朝日出向時代
- チェンジ!(1998年) ※テレビ朝日出向時代
- 京都始末屋事件ファイル(1999年)
- 仮面ライダークウガ(2000年)
- 別れる2人の事件簿(2000年)
[編集] オリジナルビデオ
- 真・仮面ライダー 序章(1992年)
[編集] 映画
前項に属する作品の映画化は除く。
- 人造人間ハカイダー(1995年)
- 仮面ライダー THE FIRST(2005年) ※劇中にカメオ出演している。
[編集] 著作
- ヒーローと正義(寺子屋新書刊、2004年)
[編集] 外部リンク
カテゴリ: テレビプロデューサー | 特撮スタッフ | 東映 | 1965年生