王党派
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王党派(おうとうは)は、君主制の維持を主張する政治党派のこと。市民革命においては共和派と対立し、絶対王政と貴族制の維持を主張する。立憲君主制を目指す立憲君主派も広義の王党派に含まれることもある。国王が王権を強化する必須の勢力であり、また王政を維持し、正当化する理由にもなっている。ただし貴族が必ずしも王党派と言うわけではなく、ブルジョワなどの市民や、農民の支持による王党派もある。現在でもフランスでは王政復古を目指す王党派が活動している。
フランス革命期においては、プロヴァンス伯(ルイ18世)とアルトワ伯(シャルル10世)を王党派と呼ぶ。あるいは絶対王政期のアンシャン・レジームの貴族、聖職者(僧侶)を言う。彼らは、フランス王国などの王政国家を維持する勢力であった。
フランス革命以後、主にナポレオン・ボナパルト失脚後に生まれたブルボン家支持者をレジティミストと言う。またフランス7月革命で成立したルイ・フィリップ統治のオルレアン朝(ブルボン家の傍流)支持者をオルレアニストと言う。いずれも広義には王党派の範疇に入ると言えるが、ルイ・ナポレオン(後のフランス帝国皇帝ナポレオン3世)支持者のボナパルティストと激しく対立した。
1772年、スウェーデン王グスタフ3世は、この王党派の支持の元、近衛兵を用い、クーデターを起こした。グスタフ3世は、王権の強化に成功し、絶対王政への道を開いた。
1917年、ロシア革命が起きると、フィンランドの独立運動の時、親ドイツ派のスウェーデン系の保守政党(スウェーデン党)が、ドイツ帝国に接近し、一時、ドイツ人の国王を選出している。彼らの目論見は、第一次世界大戦でのドイツの敗北により失敗に終わった。彼らは立憲主義者であったが、実質、王党派であったと言える。