玉山 (台湾)
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標高 | 3952 m | |||
位置 | 北緯23度28分-秒 西経120度57分-秒 |
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所在地 | 台湾 | |||
山系 | 台湾山脈 | |||
種類 | -- | |||
初登頂 | 鳥居龍蔵 1900年4月11日 |
玉山(ユイシャン、ぎょくさん、ピンイン: Yùi Shān、ウェード式: Yü Shan)、旧称新高山(にいたかやま)・モリソン山 (Mount Morrison) は、台湾島のほぼ中央部に位置する山。標高は3952メートルと台湾で最も標高が高い。周囲は台湾自然生態保護区となっている。また1985年4月6日には玉山を中心とした約10万ヘクタールの範囲が玉山国家公園に指定されている。
目次 |
[編集] 歴史
先住民ツオウ族の言語ではパットンカン (pattonkan、石英のこと) と呼ぶ。清代初期の文書によれば、八通關山(パットカンの音訳)、雪山と呼んでいた。欧米では、商船主モリソンが報告したことから、モリソン山と呼ばれた。
日本統治時代には明治天皇により「新しい日本最高峰」の意味で新高山と名づけられた。富士山の標高3776 mよりも高いことから、日本一標高の高い山として知られ、学校でも「日本一の山」として教えられていた。また1934年には新高阿里山国立公園として、日本の国立公園に指定されていた。
1941年12月2日に発令された日米開戦の日時を告げる海軍の暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」のニイタカヤマとは当山の事であるといわれているが、当時の海軍の通信符号表には“ニイタカヤマ”は登載されておらず確証はない。
第二次世界大戦に日本が敗戦し、台湾の領有権が中華民国に移るに際し現在の名前に戻された。その後は重要な軍事拠点とされ入山には政府当局の許可が必要であった。なお民主化以降も一部の観光地を除いた地区の入山には許可が必要である。しかしこれは自然保護の観点からであり、事前に申請を行えば民主化以前に比べれば容易に入山する事ができる。
[編集] 登頂
日本の人類学者、鳥居龍蔵は明治33年(1900年)4月11日、台湾調査のかたわら、この山の登頂に成功した。異説はあるものの、記録上これが玉山初登頂となっている。
[編集] アクセス
かつて玉山へつながる道は、清代に作られた八通関古道、日本統治時代に理蕃政策の一環として作られた八通関越横断道路などの細い山道しかなかったが、1991年に台湾中南部を玉山国家公園内を横断する新中部横貫公路が開通すると、交通の便は飛躍的に向上した。
[編集] 標高
標高は公式には3952 mとされるが、1995年と1999年の衛星測量では、ともに3978 mと計測されている。