浦町駅
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浦町駅(うらまちえき)は青森県青森市にあった日本国有鉄道(国鉄)東北本線の駅である。東北本線のルート変更に伴い昭和43年(1968年)7月21日に廃止となった。
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[編集] 廃止時の駅構造
- 当時の東北本線は単線であったが、本線とは別に青森操車場との間に小運転線1本を持っていた。資料によっては、青森駅との間は複線と表現されることもある。
- 駅舎は木造平屋建てであった。大きなガラス窓が多かった。
- 駅舎の入り口右に公衆電話があった。
[編集] 沿革
- 1891年(明治24年)9月1日 - 日本鉄道盛岡駅~青森駅間開業。この時はまだ浦町駅はなかった。当時の鉄道のルートは、東側から順に言えば、現在の遊歩道緑地、国道4号、遊歩道緑地、住宅地、旧線路通りを通るルートであった。
- 1893年(明治26年)7月 - 浦町駅が野内駅と共に開業する。当時の所在地は、現在の平和公園通りと旧線路通りの交差点やや東側に相当する。青森駅が当時の青森市市街地を越えてやや西に片寄っていたため、市街地東部住民の利便をはかるために設けられたといわれている。
- 1906年(明治39年)11月1日 - 日本鉄道国有化。日本国有鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 東北本線という名称が付けられ、東北本線の駅となる。
- 1926年(大正15年)10月25日 - 青森操車場完成に伴う東北本線のルート変更に伴い南方に移設される(現在の平和公園敷地)。当時の東北本線のルートは東側から順に言えば、現在の遊歩道緑地、国道4号、遊歩道緑地(堤川を過ぎた辺りにある東湯で開業当時のルートと分岐する)、平和公園(浦町駅跡)、遊歩道緑地、空き地(青森ねぶた祭りの臨時駐車場などに利用されている)を抜け、現在の東北本線に合流するルートであった。このとき同時に小運転線も出来た。
- 1945年(昭和20年)7月28日 - 青森大空襲。駅前の鉄道官舎が焼失。駅にも飛び火しかけたが、当時の駅員が類焼を必死に食い止め駅は無事であった。だが、この空襲により当時の駅周辺にあった多くの建物が焼失した。
- 1968年(昭和43年)7月21日 - 東北本線のルート変更に伴い、隣の浪打駅とともに廃止。8月22日、盛岡駅~青森駅間電化され、東北本線が全線電化される。
[編集] 現状
初代駅舎跡地は現在旧線路通りになっている。2代目駅舎は太平洋戦争時の青森空襲の際に避難場所に使われたため、1977年に跡地は青森市により平和公園とされた。
浦町駅のかつての官舎の名残として、現在もこの付近にJR社員や家族が住むJRアパートがある。
[編集] 駅周辺(駅があった当時のもの)
- 青森県立女子師範学校…戦後、弘前大学に統合された。跡地は、青森市立野脇中学校として使われたあと、青森市文化会館の敷地となる。
- 青森県立青森高等女学校…戦後、青森高校に統合。現在は、青森市文化会館の敷地となっている。
- 青森山田高等学校…昭和22年から昭和50年代までは付近の松原地区に校舎を構えていた。
[編集] 廃止理由
- 線路の複線化
- 東北本線を南方に移設することで、青森市市街地の分断を解消すること
[編集] 備考
- 現在平和公園通りと呼んでいる通りは以前は浦町駅通りと呼ばれていた。
[編集] 隣の駅
[編集] 関連項目
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