浅越ゴエ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浅越 ゴエ(あさごえ ゴエ、本名:浅越 浩志(-ひろし)、1973年12月20日 - )は、日本のコメディアン、漫談家、ピン芸人。お笑いユニット「ザ・プラン9」のメンバーの1人でもある。
岡山県岡山市出身。吉本興業・大阪本社に所属。吉本総合芸能学院(NSC)・大阪校の第16期生。岡山県立岡山芳泉高等学校を経て、立命館大学法学部を卒業。身長:177cm,体重:70kg
[編集] 来歴
- 父親は公務員、祖父は町議会議員である。
- 高校3年生の時、友人2人と「全国高等学校クイズ選手権(第11回)」に出場。岡山県代表として全国大会に進出するも、惜しくも1回戦で敗退。
- 大学在学中に宅地建物取引主任者(宅建)資格試験に合格するなどしていた4回生当時の1995年10月、NSC・大阪校に入学。「イン☆パルス」結成・解散を経て、大学卒業後の1996年4月、同期の高山和也と共にお笑いコンビ「デモしかし」を結成。その高山は現在、ロックンロールコント集団「超新塾」の新塾ドラゴンである。
- 1999年9月17日「デモしかし」解散後、いったんは住友不動産販売へ就職するも、シェイクダウン(当時)の久馬の強い誘いによって、2001年4月、お~い!久馬、鈴木つかさ(元シンドバット)、浅越ゴエのコメディーユニット「ザ・プラン9」が旗揚げとなる。
- ピン芸人のときはニュースキャスターの格好で、ネタ原稿を読み上げるというネタを披露している。また、ピン芸人としては、2003年度の「第2回R-1ぐらんぷり」において見事優勝している。なお、原稿を読む際、浅越はアナウンサー顔負けの滑舌のよさが特徴であるが、その理由として、過去にアナウンサー試験を受けたことがあることが、2006年の第4回R-1ぐらんぷりにおいて、浅越本人の口から語られた。
- 以後の主な活動は下記の通り。
- R-1ぐらんぷり優勝者であるものの、自身が優勝した第2回はテレビ中継が関西ローカル、優勝賞金が100万円であった。だが翌年の第3回から全国放送、さらに優勝賞金が500万円とグレードアップしたことには納得がいかず、優勝経験者ながら第4回(2006年)大会にも「参戦する」と異例の表明をし、決勝まで進んだが惜しくも3位に終わった。
- 最近の芸人では大変珍しく、自分の名刺をいつも持ち歩いている。2006年1月29日OAの「ヨシモト∞」ではその名刺を公開していた。
- 宅建の資格を持ち、元不動産販売店勤務という経歴から、吉本の若手芸人たちが部屋を物色したり借りたりする際にまず彼に相談するというパターンが一時期定着していたらしい。
- アナウンサーを志望したきっかけはプロレス中継の実況をテレビで見て。いつかは実況をしたいという夢を抱えアナウンサー試験を受けた。ところが「アナウンサーを志望する人はずっと前からいろんな箇所でセミナーを受けたりした上で初めて採用試験を受けるもの」ということを就職試験中に知ったそうだ(「トミーズのはらぺこ亭」より)。そのため何も準備をしないまま試験を受けたが、渡された原稿を読んだ際に「君の(原稿を)読む声はどうも嘘っぽい」との理由で不採用となった。しかし、現在では情報番組の中継リポーターや新吉本プロレス、ハッスルの実況などを担当する時もあり、確実に過去の経験を生かしている仕事に携わっている感が窺える。
- 自転車の運転をすると人格が変わるらしくスピードにこだわる。梅田~難波間5kmを15分で走破したこともあるそうだ。
- フットボールアワーの後藤や野性爆弾が在籍しているバンド「盆地で一位」の名付け親でもある
- 「晴れドキ」で担当している「街のゴエ」のコーナーではたまに温泉地やプール施設での中継があるが、その時の格好は競泳用のハーフパンツにネクタイという、一見アンバランスな格好で中継に出ている時がある。ちなみにCBCの若狭敬一アナから「ネクタイはいらないんじゃないんですか?」と突っ込まれると「ネクタイがないと誰だか分からないでしょう?」と返していた。
- 最近になって「コメダ珈琲」のシロノワールをようやく食べることができ、ブログ上でそのおいしさを写真つきで書き込んでいる。
- 伊達メガネである。
[編集] レギュラー番組
- なるトモ!木曜(よみうりテレビ)
- ちちんぷいぷい火曜隔週(MBSテレビ)
- さてはトコトン菊水丸水曜・木曜(MBSラジオ)
- 晴れどきドキ晴れ(CBCテレビ)※2006年4月より中継リポーター、2006年10月よりスタジオレギュラーとして出演
若狭敬一アナウンサーと間違えられる事が多々ある。