沖縄県立開邦高等学校
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沖縄県立開邦高等学校のデータ | |
学校種別 | 県立高等学校 男女共学 |
設立年月日 | 1986年4月9日 |
募集定員 | 理数科 120人(3クラス) 英語科 80人(2クラス) 芸術科 40人(1クラス) 合計 240人(6クラス) |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒901-1105 |
沖縄県島尻郡南風原町字新川646番地 | |
電話番号 | 098-889-1715 |
FAX | 098-889-1709 |
外部リンク | 沖縄県立開邦高等学校 |
沖縄県立開邦高等学校(おきなわけんりつかいほうこうとうがっこう)は沖縄県島尻郡南風原町字新川にある県立の高等学校。
1986年、「邦を開き世界に羽ばたく、21世紀に向けた人材の育成」を目的に、英語科、理数科、芸術科を県内で初めて設置し、開校。0校時から7校時まで授業を行うなど、学習指導に力を入れ、県立球陽高等学校、県立向陽高等学校、県立那覇国際高等学校と並び県下有数の進学校である。
また、2002年度より、スーパーサイエンスハイスクールに指定されている。
全学科、志望区域は県内全域である。
目次 |
[編集] 沿革
- 1985年8月26日 県教育委員会にて沖縄県立開邦高等学校設置方針を定める。
- 1985年11月1日 職員人事発令、開校準備室設置(本校創立記念日)。
- 1986年4月9日 開校式、第1回入学式を挙行。
- 2002年5月23日 文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクールに指定される。
- 2005年10月11日 校訓を「開邦雄飛」と決定。
[編集] 設置学科
- 芸術科(1クラス:美術コース-20人/音楽コース-20人)
[編集] 授業
- 0校時と1校時~7校時までの7コマ授業。0校時は7時45分開始。1コマ50分授業で、月・水・金曜日と、火・木曜日では下校時間が異なる。
- 2007年度より、0校時を除く1校時~6校時を1コマ60分授業にし、7校時をなくして、1日6コマ授業にする予定。
[編集] 寄宿舎
- 概要:志望区域が県内全域になっているため、遠隔地から進学してくる生徒のために、学校の隣に学寮を設置している。名称は「青藍寮」。利用している生徒は主に沖縄島北部、宮古、八重山などの地域である。名前の由来は「青は藍より出でて藍よりも青し」(出藍之誉)から来ており、師を超える逸材の輩出を願って名づけられた。
- 所在地:〒901-1105 沖縄県島尻郡南風原町字新川678番地
- 電話番号:098-889-2947
- 入寮者数:131人(2005年5月)
- 部屋数:男子部屋-55部屋 女子部屋-47部屋 合計-102部屋
[編集] 年間行事
- 4月:始業式・入学式、1年生宿泊研修、遠足、第1回実力テスト、新入生歓迎球技大会
- 5月:面接週間、PTA総会 、中間考査、生徒総会、定期健康診断
- 6月:校内弁論大会、PTA進路学習会、体育祭、期末考査
- 7月:三者面談週間、開邦「弁ガ岳の集い」、終業式、前期夏期講座(6日間)
- 8月:PTA支部総会、後期夏期講座(6日間)
- 9月:始業式、第2回実力テスト 、校内英語スピーチコンテスト、インターンシップ
- 10月:中間考査、交流球技大会、美術コース卒業作品展、芸術鑑賞会
- 11月:長距離ウォーキング、学校説明会
- 12月:期末考査 、音楽コース卒業演奏会、終業式、冬期講座
- 1月:始業式、第3回実力テスト、大学入試センター試験
- 2月:理数探究発表会、学年末考査、SSH研究発表会
- 3月:卒業式、修学旅行、英国海外研修、修了式、春期講座
[編集] アクセス
[編集] モノレール
[編集] 路線バス
各路線の詳細は那覇バス、沖縄バス、東陽バス、又は各路線記事を参照。
- 汀良三丁目バス停(徒歩8分)
- 46番 (糸満西原(鳥堀)線) 那覇バス
- 首里駅前バス停(徒歩10分)
- 1番 (首里識名線) 那覇バス
- 8番 (首里城下町線) 沖縄バス
- 46番 (糸満西原(鳥堀)線) 那覇バス
- 鳥堀一丁目バス停(徒歩15分)
- 1番 (首里識名線) 那覇バス
- 8番 (首里城下町線) 沖縄バス
- 17番 (石嶺線) 那覇バス
- 46番 (糸満西原(鳥堀)線) 那覇バス
- 鳥堀バス停(徒歩15分)
- 91番 (城間(南風原)線) 東陽バス
- 191番 (城間(一日橋)線) 東陽バス
[編集] 出身著名人
- 池上永一 - 小説家
- Cocco - シンガーソングライター
- 狩俣倫太郎 - 琉球放送アナウンサー
- 知花くらら - 2006年準ミス・ユニバース
- 宮城さつき - 琉球朝日放送アナウンサー
- 與那嶺紗希子 - NHKアナウンサー(2006年12月現在地元沖縄局勤務)