森繁和
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森 繁和(もり しげかず、1954年11月18日 - )は、西武ライオンズに所属した元投手である。1988年限りで現役を引退。引退後は西武、日本ハム、横浜でコーチを務めた後、現在は中日の投手コーチである。
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[編集] 来歴・人物
1976年のドラフト会議でロッテオリオンズから1位指名を受けたが拒否、住友金属へ入社。その後1978年に西武ライオンズからドラフト1位指名を受けて入団。抑えの切り札として西武の初優勝に貢献、1983年には最優秀救援投手に輝いたがその後は怪我に苦しんだ。1986年リリーフ投手として復活し、1988年引退。
投手コーチとしての手腕は高い。投手交代などのタイミングが絶妙である上、口が堅く絶対に投手の調子などを外に漏らさないなど、各首脳陣から絶大な信頼を受けている(それゆえ、マスコミ泣かせでもある)。また選手に対しても指導が厳しく、西武投手コーチ時代に駒澤大学の後輩でもある竹下潤がふがいないピッチングでKOされた際には、当時バッテリーコーチだった大宮龍男とステレオで竹下を怒鳴りつけたこともある。しかしその反面、兄貴分として慕われ、人望が厚い。
2004年の日本シリーズでは第3戦での岡本真也や第7戦でのドミンゴの交代機を逸したことが響き、結果的に中日の日本シリーズ敗北の大きな要因になってしまったためファンから非難を浴びた。
余談ではあるが森は過去の中日と西武(クラウン以前の時代を除く)の3度の日本シリーズ全てに両チームのユニフォームを着て参加した唯一の人物であり、同時に歓喜(1982年と1988年に西武の選手として)と屈辱(2004年・2006年に中日コーチとして)の両方を味わった唯一の人物でもある(他には宇野勝がこれらの4度の日本シリーズに全て出場しているが、いずれのシリーズも中日側からの出場であり4度全てで屈辱を味わっている)。
[編集] 略歴
- 投打 右/右
- 出身地 千葉県長生郡一宮町
- 血液型 AB型
- 球歴・入団経緯 駒澤大学高校 - 駒大 - 住友金属 - 西武ライオンズ(1979年-1988年)
- プロ入り年度・ドラフト順位 1978年(ドラフト1位)
- 現役引退(1988年)
- 西武投手コーチ(1989年~1999年)
- 日本ハム投手コーチ(2000年~2001年)
- 横浜投手コーチ(2002年~2003年)
- 中日投手コーチ(2004年~)(※但しその肩書きは年々変化している。05年は投手バッテリーコーチ。06年はバッテリーチーフコーチとなっている)
[編集] 通算成績
- 344試合 57勝62敗82S 455奪三振 防御率3.73
[編集] タイトル・表彰
- 最優秀救援投手(1983年)
[編集] 関連項目
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