木村祐一
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木村 祐一(きむら ゆういち、1963年2月9日 -)は、京都府京都市左京区出身のお笑いタレント、放送作家、コラムニスト。
吉本興業所属。愛称は「キムキム兄やん(キム兄)」「キム」。 現在の妻は女優の辺見えみり、義兄はミュージシャン・音楽プロデューサーの辺見鑑孝。
血液型はAB型。京都市立西京商業高等学校(現・京都市立西京高等学校)卒。
口癖は「考えられへん!(声を裏返して叫ぶ)」「ありえへん!(左同)」いずれも、秩序や常識、段取り、気配りなどを無視する人間に向けて発せられる(ダウンタウン松本の「おちょこぶり」に対して発した事も。)。常にそういう物に怒っている男でもある。
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[編集] 人物
ホテルマン、染め物職人を経て、中学校の同級生(栩野進)と漫才コンビ「オールディーズ」を結成。
順調に人気を獲得していた矢先の1990年9月7日、相方が不祥事を起こし逮捕。これにより相方は所属事務所を解雇されコンビは解消。木村は予想もしない形でピン芸人の道を進むことになる。
当時、公私ともに行動をともにしていたいわゆる「二丁目軍団」は、リーダー格のダウンタウンをはじめとしてほぼ全員が、吉本の養成所NSC出身であるが、その中においては異例の、劇場の裏方(幕引きや進行)出身であり、その仲間外れ感をネタにすることもあった。
その後、交流のあったダウンタウンらを慕い1994年に東京進出。「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ系)で構成作家としてもデビューする。
現在に至るまで、松本人志の優秀なブレーンであるとともに、写真を使ったネタなどの多彩な芸風でピン芸人として活動を行っている。自分で撮った写真にコメントをつけて笑いをとる「写術」など。
松本を中心とした芸人の集まり(いわゆるダウンタウンファミリー)では兄貴的存在である。実際、松本より学年で一つ上であるため、私生活でも松本に指南する立場であるようだ。吉本興業では東野幸治はデビュー時期が近く、今田耕司や130Rは1年先輩となるが、年齢的に木村の方が年上(今田とは3つ、130Rとは1つ)であるため、テレビでの仕事でも露骨な後輩扱いはしていない。
ダウンタウンの後輩であるにもかかわらず年齢が一つ上のため、初期のころはダウンタウンに「さん付けさせて欲しい」と言われた。が、木村本人は「後輩ですからいいですよ~」と言い断った。木村本人は「ダウンタウンと同い年である」と主張している。「1月1日で年が明ける、という区切りがあるのに、4月1日で線引きするのはおかしい」と、ある番組で言っていた。)
松本をして、「俺のために生まれてきたような男」「何回人生やってきたんや」と言わしめるほどよく気がまわり、器用で芸人ばなれした知識と行動力を持つが反面、自分が出来るゆえに出来ない後輩には非常に厳しく、後輩からは怖い先輩として恐れられてもいる。松本グループでのその母親的な面倒見と気遣い、料理の腕などから今田・東野らからは「松本人志の嫁」、高須光聖からは「松本の第一夫人」とからかわれる。松本本人も「嫁にするならキムのような人がいい」とラジオで発言している。
気遣いの出来る繊細な性格ではあるが、その反面、短気でルールやモラル面が特に厳しく、ルールやモラルを守れない人間には粗暴なまでに怒ることから、(真偽は別としても)「伝説」には事欠かない。
過敏すぎる例として以下のようなエピソードがある。加湿器が欲しいため、千原ジュニアをつれて家電店へ買い物に。そこで気に入った加湿器を買おうと店員を呼び止めたところ、ブルーとピンクの色があると紹介されキレる。「いい年したおっさんがなんでピンクの加湿器を欲しがんねん!」と説教した。が、そのとき木村は真っピンクのシャツを着ていた。それに気づいたジュニアが慌てて止めに入ることに。このように、後輩だけでなく誰にでも説教をするが、ときにピントがずれていることがある。
趣味は料理でプロ並の腕前。「アフリカのツメ」「浜ちゃんと!」(いずれも日本テレビ系)などでその料理の腕を披露した。「めちゃイケ」の「やべっち寿司」でもコンビーフを使ったちらし寿司を作って殿堂入りしたが、作る前にもフリッターなどをナインティナインに振る舞い、絶賛された。ファミリーマートでは期間限定でコラボ商品が発売されることがある。木村の作る鍋料理は「キム鍋」とも呼ばれ、寸胴や材料持参で時間をかけてつくられるため味は絶品なので、予約を入れないと食べられないほど人気らしい。
結婚して子供をもうけたが2005年に2度目の離婚。2006年1月9日にダウンタウンDXで出会ったタレントの辺見えみりと婚約。 同日、合同記者会見を行い、入籍(自身3度目)を報告。 ちなみに、婚約指輪は0.93カラット。ティファニーで購入。 プロポーズは新宿外苑の外周の車中でした、とのこと。
妻のことはテレビなどでは「えみりちゃん」だが、家では「えみちゃん」と呼んでいるらしい。辺見は自身のブログで木村を「旦那はん」と呼んでおり、木村は辺見のブログに時々写真で登場する。
「キムキム兄やん」と呼ばれるようになった由来は、大阪時代に出演していたダウンタウンがパーソナリティの「ヤンタン」のコーナー名で使われていたのをそのまま使われるようになったため。最近では義父の西郷輝彦にも「キム兄」と呼ばれて驚いたことがある。
無類の地図好きであることを辺見えみりが新婚旅行先のハワイでの出来事として「ダウンタウンDX」の番組で紹介した。
街中でふと気にした場面を写真に撮って木村独自の目線でツッコミを入れたり漫談をする「写術(しゃじゅつ)」がライフワークとなっており、年に1度のペースでライブを開催している。「めちゃイケ」の「笑わず嫌い選手権」でもそれを披露し、和田アキコや久本雅美を唸らせた。
服を買うことが大好きで、要らなくなった服は多くの後輩芸人に譲っている。時々、後輩芸人を集めて時間制限つきで選ばせる内輪向けのイベントを開催している。要らなくなった服とはいえセンスの良い服が只で手に入れられるため、後輩芸人からはそのイベントを「キムコレ」と呼ばれている。
以前は髪型をリーゼントなどにしていたが、ここ数年は専ら五分刈りにしている。
ヨシモトファンダンゴTVで放送されていた「木村web堂」では先輩芸人やニュースで話題になった人のモノマネを披露したことがある。
好きな酒は「GT」。バーでよく注文するらしい。しかし最近は体の調子を崩しあまり強いアルコールはドクターストップがかかっているらしい。
[編集] 出演
[編集] ドラマ
- 野ブタ。をプロデュース セバスチャン(体育教師)役
- 新選組! そば屋の主人役
- 氷点 北雪牛乳販売所店員役
- その5分前「ラスト・ファイト」(2006年12月27日、NHK総合)
- おかわり飯蔵(2007年、テレビ東京)
[編集] バラエティ
- 進め!クリフハンガー冒険隊(CBCテレビ)
- 新どっちの料理ショー(よみうりテレビ)
- 浜ちゃんと
- 木村とご飯
[編集] 情報番組
[編集] ラジオ
[編集] CM
[編集] 映画
- 誰も知らない
- 下妻物語(2004年)
- ALWAYS 三丁目の夕日(電気屋の親父役)(2005年11月公開)
- 花よりもなほ(2006年6月公開)
- ゆれる(2006年7月公開)
- 劇場版 どうぶつの森(リセットさんの声)(2006年12月公開)
[編集] 著書
- キムラの目(シンコーミュージック)
- 木村料理道 THE NABE キム'sスタイル(実業之日本社)
- 木村料理道2 THE SARA キム'sスタイル(実業之日本社)
- キムラの目(実業之日本社)
- キム兄の感じ。(マガジンハウス)
[編集] ディスコグラフィー
[編集] 受賞歴
オールディーズ時代
- 今宮こどもえびす新人漫才コンクール 1987年度/第8回 こども大賞
- NHK上方漫才コンテスト 1987年度/第18回 最優秀賞
[編集] 外部リンク
本人によるブログ「キム兄のなで肩日記」(更新終了)