新潟市の行政区域の変遷
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<新潟市
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新潟市の行政区域の変遷(にいがたしのぎょうせいくいきのへんせん)では、新潟県新潟市の過去の市町村合併及び、政令指定都市移行構想について記載する。
新潟市は、信濃川をはさんで萬代橋でつながっていた西岸の新潟区・関屋村と東岸の沼垂町が合併した旧新潟市が中心となって発展した。その後、昭和の大合併において周辺市町村を次々と合併して市域を拡大した。そして平成の大合併において、周辺の15市町村と合併して現在の市域が形成された。現在においても市域近郊の市町村がベッドタウン化したり、副都心的な役割を持つなどしており、周辺市町村とも経済的な繋がりが強い。
目次 |
[編集] 合併
[編集] 過去の主な合併
- 1889年 - 新潟区と関屋村が合併し、市制施行
- 1914年 - 沼垂町と合併
- 1919年 - 石山村馬越・鴉又の一部を編入
- 1943年 - 大形村・石山村・鳥屋野村を編入
- 1954年 - 松ヶ崎浜村・坂井輪村・濁川村・南浜村を編入
- 1957年 - 両川村・曽野木村・大江山村を編入
- 1960年 - 内野町を編入
- 1961年 - 中野小屋村・赤塚村を編入
- 2001年 - 黒埼町を編入
- 2005年 - 13市町村を編入(下記参照)
[編集] 平成の大合併
[編集] これまでの経緯
2001年1月1日、新潟市は隣接する黒埼町と合併。同年、亀田町と横越町との1市2町との間で合併問題協議会が立ち上げられたが、翌2002年にさらに周辺市町村が協議会への参加を表明して、任意合併協議会である「新潟地域合併問題協議会」に発展した。参加した市町村は新潟市、亀田町、横越町のほか、豊栄市、新津市、白根市、小須戸町、西川町、味方村、潟東村、月潟村、中之口村、岩室村の、計13市町村(4市4町5村)である。
このうち潟東村と、他の協議会参加市町村とは巻町を置いて飛び地となっている岩室村は、巻町と1町2村による合併協議を進めていたものの、当時の巻町長が合併の前提条件として、両村に対して原子力発電所建設の是非を問う住民投票の実施を強く求めたことなどから協議が行き詰まり、2002年4月4日に協議打ち切りとなったため、この3町村の枠組みから離脱し新潟市との合併協議に参加することになったもの。この間、巻町は新潟市との合併協議にも参加しなかったが、このうち新潟市赤塚地区と生活圏上一体となっている四ッ郷屋地区については、巻町とは別に単独で合併協議に参加する構想も浮上していた。
その後、新津市は2003年12月に実施された住民アンケートの結果を受け、同市議会で13市町村での法定合併協議会設置案を一旦否決したため、2004年1月6日に合併協議から一時離脱。これに伴い、残る12市町村での2005年3月21日の合併(新潟市への編入合併)を目指し、任意協議会から発展した形で法定合併協議会「新潟地域合併協議会」を2004年1月29日に設置した。しかし新津市は、2004年2月に行われた市長選で合併推進派の候補が当選し、同時に行われた新潟市との合併の是非を問う住民投票でも合併が賛成多数となったのを受け、新潟市と新津市による法定協を2004年4月16日に設置し、法定協議に改めて合流(協議会は別だが、協議そのものは前出12市町村と同時進行)。再び13市町村による協議が進められることになった。
また2004年8月には、巻町でも新潟市との合併是非を問う住民投票が行われ、賛成多数で巻町が新潟市との合併協議に参加することとなった。そして同年10月18日に任意合併協議会が設置され、第1回協議が行われた。この中で両市町は、合併期日については「2005年度早期」を目標とし、改正合併特例法の経過措置の適用を受けるため、2004年度末(2005年3月31日)までに県知事に合併申請を行う方向で協議を進めることを確認。2005年1月に法定協議に移行し、合併期日は同年10月10日に設定された。これにより、最終的に合併する市町村は計14となった。
[編集] 合併時の措置
2005年3月21日、まず巻町を除く12市町村が新潟市に編入合併。10月10日には巻町も編入し、これによって新潟市は人口約81万人を有する都市となった。
この際、各市町村の地名は「郡市町村」と「大字」を除いた表記となり(例:西蒲原郡月潟村大字月潟→新潟市月潟。但し、亀田地区で住居表示未実施の地区は「大字」表記を存続)、13市町村間で重複する地名については、旧市町村名や東西南北を付した表記に改められた(例:中蒲原郡亀田町四ッ興野→新潟市亀田四ッ興野、白根市大字田中→新潟市南田中)。
[編集] 政令指定都市
日本政府は2006年10月24日の閣議で、広域合併により人口がおよそ81万人を越えた新潟市を2007年4月1日より本州日本海側では初となる政令指定都市へ移行させることを正式に決定、2006年27日には政令が公布された。また同日には静岡県浜松市も同時に移行する予定のため、日本全国の政令市の数は計17となる。市では引き続き指定都市移行に向けた準備作業を進めている。
[編集] 新潟市の行政区
2005年8月30日に「行政区画の編成及び区役所の位置」について、2006年3月28日に「新潟市の行政区の名称」についての答申が出され、同年12月18日に新潟市議会で可決された。 区の数は8つ。名称は以下のとおり。
- 北区 (きたく)(新潟市北地区、旧豊栄市)
- 東区 (ひがしく)(新潟市中地区、木戸地区、大形地区、石山地区)
- 中央区 (ちゅうおうく)(新潟市中央地区、沼垂地区、鳥屋野地区、山潟地区)
- 江南区 (こうなんく)(新潟市曽野木地区、両川地区、大江山地区、旧亀田町、旧横越町)
- 秋葉区 (あきはく)(旧新津市、旧小須戸町)
- 南区 (みなみく)(旧白根市、旧味方村、旧月潟村)
- 西区 (にしく)(新潟市西地区、旧黒埼町、旧巻町四ッ郷屋地区)
- 西蒲区 (にしかんく)(旧巻町、旧西川町、旧岩室村、旧潟東村、旧中之口村)
詳細は下記のURLを参照のこと。
[編集] 区割り・区の名称の決定にいたる経緯
[編集] 政令指定都市化時の区割り案
政令指定都市移行時の区割り案については、2004年8月13日に開かれた13市町村の首長・議長連絡会で、各区の人口を10~20万人程度として、信濃川、阿賀野川、小阿賀野川などを境界線とした、7区割りを基本線とした3つの案(あくまでも試案で、この3つからのいずれかが採用されるというものではない)が示された。関屋分水路・信濃川以西の白根市を含む西蒲原地区については、複数のパターンが想定されている。これら区割り案については、同年9月上旬から各市町村で順次公表された。なお、巻町はこの段階では合併協議開始前であったため、区割り案のパターンには含まれなかった。
この3つの区割り案を叩き台とし、市民及び編入市町村民から意見を募った上で、合併協議に参加した巻町を加え、先の3案を修正したものと新たに作成した2案の、計5案による区割り意見の二次募集が2005年1月30日から同年2月25日まで行われた。詳細は下記のURLを参照のこと。
[編集] 政令市化時の区名案と決定にいたる経緯
[編集] その他
- 合併記念歌
この2005年の合併にあたり、市と各合併協議会では記念歌の制作を決定。新潟市が制作費の一部2,000万円を拠出し、新発田市出身のたかたかしが作詞、新潟市に在住歴のある遠藤実が作曲を手懸け、新潟市出身の小林幸子が歌うテーマソングは『越佐海峡』の仮題で制作が進められていた。
しかし10月23日に発生した新潟県中越地震を受け、タイトルとアレンジを急遽変更、歌詞も被災地への激励を込めたものに一部を手直しした『越後絶唱』が完成した。
[編集] 外部リンク
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