意味論
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意味論(いみろん)は主に二つの領域を指して用いられる。
一つは自然言語の学としての言語学の意味を扱う下位領域である。もう一つは数学において、特に数理論理学を、形式面を扱う証明論とともに構成する下位領域である。さらに一般意味論というものもあるが、言語の使用に関する倫理を扱うものであり、一般には意味論には含めない。
現在、言語学において形式意味論の重要性が増しており、それに伴い数学における意味論が大きな位置を占めるようになっている。
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[編集] 言語学における意味論
[編集] 数学における意味論
数理論理学における意味論は、文法が数学的に厳密に定義された形式言語について、意味写像や真偽の概念をやはり厳密に定義して行なわれるものであり、そこにおける困難は、概念を如何に数学的に捉えるかと、如何に数学的解析を行なうかにある。
これに対して言語学においては、言葉とは何かが曖昧であり、文法についての意見の一致もなく、「意味とは何か」ももちろん定まらず、従って当然、数理論理学におけるような厳密な意味論も行ない得ない。 自然言語の意味論を如何に行なうかは、極めて困難な問題である。 言葉の意味というものは「意味とは何か」を学術的に定義するまでもなく我々に直感されるものであり、また例えば機械翻訳などの分野では「意味とは何か」の問題を回避して工学的成功を得ることも可能であろうから、そもそも自然言語の意味論なるものに存在意義があるかさえもが問題とされよう。
自然言語の意味論におけるそういう困難を解決する一つの方法は、言葉の表層ではなく、言葉に対応する脳神経系内の存在物を抽象化して形式言語と捉え、数理論理学的に研究することである。 それは、もはや言語学というよりは数理心理学的の研究態度である。 例えばモンタギュー意味論は、そういう問題意識によるものと解釈して推し進めるべきものであろう。
[編集] 意味論の課題
[編集] 主な意味理論
- 成分分析:アメリカ構造主義の意味論。語彙素の意味である意義素を、ちょうど音素を弁別素性で規定するように、意味成分によって規定する。親族名称の分析はもっとも成功したと言われているが、何がもっとも原始的な要素かを確定する基準がなく、また関係性に特別な地位を与えず意味成分として扱ったため、相対的に意味が確定する語として成功しているとは言いがたい。しかし意味の体系を捉える理論としての端緒としての価値は重要であり、現在の意味分析でも何らかの形で採用されている。
- 生成意味論:厳密には統語論の一理論と見なすべきもの。標準理論の仮定「変換は意味を変えない」を強く解釈し、深層構造を唯一の意味表示として、それに適用される変換によって語、文が導出された。量化、語彙分解など重要なテーマを提起し、重要なデータを多く提示したが、次第に扱う領域が膨大になりすぎたこと、変換が無制限に立てられたこと、大局的制約という理論的負荷の大きい装置を持ち出したこと、論理学や心理学への還元主義的傾向が見られたことなど、様々な問題が生じていた。一般には解釈意味論が理論的に優位に立ったことで、失敗したプログラムと見なされることが多いが、1990年代の研究からイデオロギー的な問題から研究者が少なくなった、と見られている。ミニマリスト・プログラムの中で再評価の動きも見られる。
- 形式意味論:上記のモンタギュー意味論の発展したものである。言語を構成的なものと捉え、意味の断片を定められた関係に従って結合することで文(ないし談話)の意味が演繹できるとする枠組み。意味の構成や解釈の仕方は恣意的でなく、形式的に行われる。自然言語の研究だけでなく、上記のように数理心理学や数理論理学とも密接に関係している。
- 概念意味論:レイ・ジャッケンドフが推進している意味理論で、意味構造=概念構造というテーゼに立脚する。認知心理学との相互交流も盛んであり、音楽の理論や視覚の理論などとも結びついている。表示のモジュール論に立ち、意味構造を解釈部門と捉えず、生成的と仮定している。意味役割の理論、照応の理論、量化の理論など、様々な領域で提案が出されている。
- 認知意味論:人間の実際の言語処理に着目し、言語の意味は人間の概念形成や身体感覚などと結びつけられて認知されていると考える枠組み。アプローチは多岐にわたるが、共通しているのは形式意味論のような人間の主観や認知を廃した形式的な枠組みへのアンチテーゼとなっている点である。