強制収容所 (北朝鮮)
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強制収容所(きょうせいしゅうようじょ)とは、朝鮮民主主義人民共和国において、犯罪者を収容する施設のこと。特に政治犯を収容する施設をいうことが多い。日本でいう刑務所や大韓民国でいう教導所にあたるが、これらの国での犯罪者への待遇とは違い(これらの国の刑務所などにおいて重大な人権侵害の事案が存在しないわけではない)、彼らには非常に過酷な労働(一日16時間以上という例もある)を課せられたうえ、警備員による非人道的な暴行(性的暴行を含む)を受ける。一度入ると二度と外へは出られず、政治犯収容所では警備員の裁量で正当な理由がなくして何時でも銃殺されることがある。
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[編集] 分類
収容所は数種類に分類されている。それぞれ
- 未決犯を収容する集結所
- 比較的罪の軽い者を収容する労働教養所
- 6ヶ月以内に釈放される。とはいえ、日常品が一般庶民ですら満足に手に入らないので、ここでの生活も決して甘いものではない。
- 罪の比較的重い者(殺人、婦女暴行など)は教化所(교화소)
- ここでは原則として6ヶ月以上収容される。通常の裁判において「労働教化刑○○年」と判決されたものが収容されるもので、日本でいう刑務所にあたるが、中での生活レベルは労働教養所以上にひどく、病死するものや、餓死するもの、斃死するものが非常に多い。
- 北朝鮮で最も重い罪だとされる政治的犯罪(国家に叛く行為、すなわち金日成・金正日親子への不忠誠な行為など)を犯したものはもっとも厳しく、この世の地獄と呼ばれる管理所(관리소)
- 一般的にメディアで話題にされる強制収容所である。これについては日本にも多くの情報が入ってきているため、たくさんのことについてわかっている。一般には「政治犯収容所」と呼ばれるが、実際には経済犯でも収容される場合がある。本文を参照。
というところへ送られる。このほかにも、
- 脱北を試みて失敗し、捕えられた者を収容する秘密監獄
- 脱北者、その他軽い罪を犯した者を集結し、強制労働に就かせる労働鍛錬隊
- 精神病院である予防院の中にも特に政治犯を専門に収容する77号予防院(平安南道耀徳郡)が存在する
- 招待所と呼ばれる施設の中にも大韓民国や海外の国家から拉致した人物用のものや政治犯を収容し予審を行うためのものが存在する
など、様々な強制収容所ないしそれに準ずる施設が存在すると見られる。
ここでは被収容者のレベルが分けられており、レベルIからIIIまで存在する(Iがもっとも重い)。ただし最も軽いレベルIIIでも、ネズミを食べてたんぱく質を補給したりしながら生きないといけない。なぜなら一日塩を数グラムの配給があるだけだからである。
以下、「管理所」について、主に日本において被害者の証言や、実際に北朝鮮に潜入したジャーナリストのレポートなどでいわれている情報を記す。
[編集] 概要
数年の刑期で出所可能な革命化区域と、永久に出所できない完全統制区域に分けられる。ごくまれに完全統制区域から革命化区域へと軽減移住されることがあるが、一日わずかな飼料用トウモロコシと塩水程度の食料しか与えられないため、どちらに収容されても無事に出所できる確率は非常に低い。多くの管理所は共和国の秘密警察である国家安全保衛部の第7局(農場指導局)の管轄にあたるが、保衛部の他の部署や、一般の警察にあたる人民保安省(旧称:社会安全部)の管轄にあたると見られる管理所も存在する。収容者は全体でおよそ20万人から30万人といわれる。
その内のいくつかには1959年から行われた祖国帰国事業により日本から北朝鮮へ渡った在日朝鮮人、日本人妻も多く収容されている。
収容者の主な罪状は金日成、金正日の政治方針により時代ごとに異なる。1960年代までは金日成の権力掌握過程において粛清された南朝鮮労働党派、延安派、ソ連派、甲山派などのいわゆる分派主義者・宗派主義者、および住民の成分分類作業において索出された反動分子の逮捕・収容が多く、1970年代から1980年代までは後継者問題による派閥抗争や朝鮮人民軍の派閥対立に関連した逮捕・収容(例えば金正日の異母弟である金平一への追従を問われて収容される事例)が多かった。と言っても、粛清対象となった派閥に属する人物と多少のつながりがあるだけでも収容される場合も少なくなかった。1990年代以降は経済状態と食糧難により豆満江を無断渡航した者、中国の延辺朝鮮族自治州の親類を頼り食料や衣類などを仕入れ、チャンマダンと呼ばれる闇市で商売した者、国家財産を横領した者など経済犯的色彩が強い収容者が主となっている。
これらの収容者は多くの場合国家安全保衛部によって秘密裏に拉致・拘禁され、裁判もなく、あるいは形式的な裁判のみで管理所へ移送される。
また、人民保安省が管轄する管理所では一般経済犯も収容されている。
一日の労働は約12時間、男女の差なく罪状により果樹園・炭鉱・森林伐採・採石などの重労働が課せられる。ノルマの果たせない者は更に重い労働を徹夜で行わされたり、その場で銃殺されることもある。
また、女性収容者は秘密警察である国家安全保衛部員から性的虐待を受けることもしばしばある。
収容者は男女を問わず、国家保衛部員の怒りに触れると死に至るまでの暴力・拷問を受ける。管理所内部では国家保衛部員の気まぐれによる公開処刑も頻繁に行われている。
収容者は連座制である。反動分子を増やさぬためにという理由で基本的に親・子・孫の三代までが収容または僻地への追放処分となる。従兄弟・叔父・叔母までもが収容されることも珍しくはない。
ちなみに妊婦が収容された場合、反動分子の子孫を絶やすという理由で強制堕胎、または出産後に生きたまま窒息死や殴打を繰り返し殺してしまう。
管理所の革命化区域の平均収容期間は2年から7年。不衛生な環境と著しい栄養失調のため収容中に病死、重労働での事故死というケースが殆どである。
現在は食料難から国境の川豆満江を越え中国へ逃れた人々を逮捕監禁するための教化所が足りなくなっている状態である。教化所は主に窃盗・殺人・売春などの一般犯罪者を収容する刑務所の役割。平均収容期間は3ヶ月から2年だが、15年や20年といった刑を言い渡された者も多い。食料難と重労働、ならびに虐待・人権蹂躙もこちらも同じである。
近年はアメリカの宇宙衛星より撮影された北朝鮮全体像と、元受刑者・元警備兵の証言より約20の強制収容所の位置と名称が確認されている。
2004年、咸鏡南道耀徳(ヨドク)郡にある第15号管理所の映像がフジテレビにより報道された。 2003年頃からの脱北者からの証言によるとコッチェビと呼ばれる浮浪児のみを収容する施設もできていることが確認されている。
[編集] 強制収容所の実態
前述したように北朝鮮の強制収容所には、二つの分類がある。
[編集] 革命化区域
懲役刑でいうところの有期懲役を科せられた人間がここに送られる。といっても、明確な刑期を言い渡されていない者やそもそも裁判を経ずに移送されて来る者も少なくない。高層建築に独房や雑居房が並んでいるという刑務所や収容所の一般的なイメージと異なり、粗末なバラックが何棟も並んでいて鉄条網で囲まれているという状況である。収容者は、一日五百グラム内外の雑穀を支給されるだけで、朝早くから夜遅くまで、居住区とは別の場所にある農場や工場で働かされる。監視官による暴行や殴打はしょっちゅうである。有期刑とはいえ、長期囚の中には監視官の殴打で死亡する者もいる。
国家安全保衛部が管轄する収容所では第15号管理所(咸南・耀徳郡)にのみ存在し、従来は前述した日本からの帰国者などが多く収容されていたが、最近では党幹部など成分の良い者またはその子弟で、犯罪者本人だけが「再教育」として収容されることが多い。そのため収容前の人脈や収容所外部にいる家族による賄賂などが収容所生活を左右することもある。この区域から釈放された者の中には安赫、姜哲煥など脱北して韓国に亡命する者もおり、現在、強制収容所に関する情報は多くは彼らから提供されるものである。
靴や服が二年に一度支給される。また、班長、流動確認員(収容者の移動を確認する)、整備工などの役目を与えられた幹部級収容者は他の収容者に対して暴力を振るったり搾取を行うことがあるという。
社会安全部が管轄する収容所では第17/18号管理所(平安南道北倉郡)に存在することが知られており、姜成山元首相の娘婿である康明道、韓国に亡命した人民軍少尉金南俊の兄金東俊などが収容されていた。
[編集] 完全統制区域
懲役刑にたとえるならば、ここは収容仮釈放のない終身刑に処せられた者たちの終の棲家である。支給品が滞る事が多く、服や靴すら自分たちで作り出さねばならない。収容者の栄養状態は悪く、雑草や鼠を食べる事が日常化している。疾病にかかった収容者は治療もされず、通常の居住区から離れた隔離バラックに押し込められて死を待つばかりである。死んでも刑墓に埋葬されるわけではなく、そのあたりの穴や畑に適当に埋葬されたり、犬の餌にされたりしてしまう。逃走を図った者はただちに射殺される。規則違反に対しては公開銃殺のほか、監視官の徒手格闘術の訓練台にされる、棍棒で百数十回打たれるといった罰が用意されている。規則違反といっても食べてはならぬときに食べた、不正に運動をした程度のものだが、収容者は銃殺とならずとも、いずれの罰を受けても外傷性ショックにより血液を失って死ぬ運命にある。
やはり多くの管理所は粗末なバラックが並び集落の形態をとっているが、第25号管理所(咸鏡北道清津市)ならびに閉鎖された第26号管理所(平壌市勝湖区域貨泉洞)は政治犯本人を収容するためのもので監獄形態をとり、他の管理所以上に拷問が頻繁に行われている状況である。
ここでも幹部級収容者による暴力・搾取が行われる。また、酒・菓子・煙草その他収容所職員のための食品等を生産する工場があるが、そこに配役された収容者は、監視官との情交を条件にして、酒、煙草、燻製肉その他、収容所外でも手に入らないような貴重品を喫食する機会を与えられる。
[編集] 監視官の不祥事
監視官の不祥事も後を絶たない。糧秣の横流し、収容者の殺害、役付収容者の強姦などさまざまである。収容者と情を通じたのが発覚すれば監視官も職を失うが、それ以外は見て見ぬ振りである。
[編集] 管理所の一覧
w:Concentration campに管理所の位置地図が詳細に掲載されている。
- 国家安全保衛部第7局管轄の管理所
- 第11号管理所 - 咸鏡北道鏡城郡冠帽里(1989年10月に移転)
- 第12号管理所 - 咸鏡北道穏城郡蒼坪里(1987年5月に移転)
- 第13号管理所 - 咸鏡北道穏城郡豊川里・東浦里(1990年12月に移転)
- 第14号管理所 - 平安南道价川市皮虎山周辺
- 第15号管理所 - 咸鏡南道耀徳郡大淑里など
- 第16号管理所 - 咸鏡北道化城郡
- 第22号管理所 - 咸鏡北道会寧市洛生里・行営里・仲峰洞など
- 第25号管理所 - 咸鏡北道清津市松坪区域輸城洞(別名:輸城教化所)
- 第26号管理所 - 平壌市勝湖区域貨泉洞(別名:勝湖里収容所、1990年1月に移転)
- 第27号管理所 - 平安北道天摩郡(1990年11月に移転)
- 社会安全部管轄の管理所
- 第17号管理所 - 平安南道北倉郡石山里
- 第18号管理所 - 平安南道北倉郡得長里(第17号に隣接・第14号とは大同江の対岸)
- 第19号管理所 - 咸鏡南道端川市大興洞(アメリカ人権委員会報告では第105号として報告されている、また1980年代末に解体されたという証言が掲載されている)
- 管理所番号不明 - 黄海北道沙里院市
- その他の部署管轄の管理所
- 第23号管理所 - 咸鏡南道徳城郡楽園里(旧:泥望只里)
- 管理所番号不明 - 咸鏡南道定平郡
- 管理所番号不明 - 慈江道煕川市
- 管理所番号不明 - 慈江道東新郡
- 管理所番号不明 - 平安北道寧辺郡
- 管理所番号不明 - 平安北道龍川郡(第29号なのではないかと言われている)
- 文献に現れるが、詳細が不明の管理所
- 第5号管理所 - 咸鏡南道蓋馬平野(ミネソタ弁護士会国際人権委員会 アジアウォッチ編『北朝鮮の人権―世界人権宣言に照らして』、連合出版、2004)
- 第8号管理所 - 慈江道(R. A. Scalapino & Lee Chong-Sik, "Communism in Korea", University of California Press, 1972, p. 830)
- 第24号管理所 - 慈江道雩時郡(恵谷治『金正日大図鑑』、小学館、2000、pp.152-153)
- 第149号管理所 - 両江道(R. A. Scalapino & Lee Chong-Sik, "Communism in Korea", University of California Press, 1972, p. 830)
[編集] 元収容者・元警備兵の著作
- 安明哲 著、池田菊敏 訳・『北朝鮮絶望収容所』ワニ文庫2000年5月ISBN 4584391130
・『図説・北朝鮮強制収容所』双葉社1997年11月ISBN 4575287822
- 姜哲煥・安赫 『北朝鮮脱出』上・下 文春文庫ISBN: 416710914X 上4167109158 ; 下
- 李順玉 『北朝鮮泣いている女達』ワニ文庫 2000年7月ISBN: 4584391157
- 康明道著、『北朝鮮の最高機密』文藝春秋1995年10月ISBN: 4163508406
[編集] その他の参考文献
- 北朝鮮人権アメリカ委員会 (著), デビッド・ホーク (著), 小川晴久(訳), 依藤朝子(訳)『北朝鮮 隠された強制収容所』, 草思社, 2004.ISBN: 4794213409
- 月刊朝鮮(編)、黄民基(訳)、『北朝鮮 その衝撃の実像』、講談社、1994ISBN: 4062073358
- 尹大日(著)、萩原遼(訳)『北朝鮮・国家安全保衛部』、文藝春秋、2003ISBN: 4163596208
- 尹大日(著)、高田一太(訳)『「北」の公安警察』、講談社、2003ISBN: 406212095X
[編集] 関連項目
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