廃帝弁
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廃帝弁(はいていべん 173年 - 190年 在位189年)は中国後漢朝の第13代皇帝。少帝弁とも言う。十二代霊帝と何太后との間に生まれた長男。
霊帝の死後、母何太后とその兄である大将軍・何進により擁立された。しかし何進が宦官によって暗殺され、その機を見計らったように洛陽に入ってきた董卓によって異母弟の劉協(献帝)を擁立されたために廃位となり、弘農王に封じられた。
その後、董卓による専制に反発した諸侯による董卓討伐戦が起こったとき、反乱軍に擁立されることを恐れた董卓に命じられた李儒によって、長安遷都前に母ともども毒殺された。
劉弁の在位はわずか五ヶ月に過ぎないが、地方豪族のひとりにすぎない董卓に廃立されたことは、事実上、後漢の滅亡を意味していた。
ちなみに、劉弁の即位当時の年齢17歳というのは、後漢歴代皇帝の即位時年齢の中で4番目の高齢にあたる(上位3人は初代光武帝からの3代である)。こうした事実は、後漢朝の歴代皇帝がいかに幼く権力のない皇帝ばかりだったかを証明するような話である。