李儒
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李儒(りじゅ、? - ?)は中国の後漢末の人物で儒学者。馮翊郡郃陽の出身で字は文優。(ともに『曹全碑』による。)
董卓が入朝した頃は官界にあった。後漢書皇后紀には、董卓に廃された弁皇子(弘農王)に毒薬を飲ませて殺したことが書かれている。董卓の死後、この事で献帝によって殺害されそうになるも、李傕のとりなしで事なきを得ている。また李傕から侍中に推薦される話もある。
三国志演義では董卓の娘婿として登場する。董卓が洛陽を支配した後に、弁皇子の殺害及び献帝の擁立や、諸侯による董卓討伐軍が洛陽に迫ったことへの対策として長安への遷都など、董卓による悪政の進言を積極的に行なう。そのため192年に董卓が暗殺されたとき、王允によって連座として捕らえられ処刑されている。