山口節生
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山口 節生(やまぐち せつお、1949年9月26日 - )は、昭和・平成期における政治活動家。不動産鑑定士。
政治団体「自民党民主党過半数割後の政治を主導する新党」党首。
[編集] 概要
- 佐賀県出身。
- 自称政治評論家、経済評論家、金融問題専門家、都市政策研究家。
- 自由連合→「ニューディールの会」代表→「自民党民主党過半数割後の政治を主導する新党」党首
- 佐賀県立佐賀西高等学校卒業、一橋大学商学部卒業、東京大学経済学部卒業、早稲田大学大学院政治学研究科修了。中央大学法学部法律学科夜間部卒業、日本大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了、放送大学にも在籍。大学院では政治哲学を専攻しており、ジョン・スチュアート・ミルの著作の翻訳も手がけている(単著としては未刊行)。
- 一橋大学卒業後、三菱信託銀行入行。不動産鑑定課に配属されたことをきっかけに不動産鑑定業務に携わる。佐賀県立鳥栖高等学校ほか佐賀県での高校教員などを経て、不動産鑑定業務を中心に会社設立、各大学への入学を繰り返す。
- 東京都、埼玉県等でたびたび選挙に出馬するも落選。自民党系無所属を名乗る事が多い。細かい文字でびっしり埋め尽くされた選挙公報や、政見放送で「入れないと見捨てちゃうぞ」と発言するなど、強烈なインパクトを残す。
- マスコミでは、大川興業大川豊総裁(当時)の著書「誰が新井将敬を殺したか」や連載「金なら返せん!」でもたびたび取り上げられた。
- 2000年第42回衆議院議員総選挙では自由連合から出馬。2003年第43回衆議院議員総選挙では、ニューディールの会を名乗り、「当選後は自民党亀井派に入会します」を公約とし、選挙ポスターに自身のではなく、亀井静香のポスターを掲示したことが一部で知られている。
- 2005年第44回衆議院議員総選挙では、当初埼玉5区からの出馬を表明した。「私は筋金入りの郵政民営化論者。自民党の候補者公募にも応募しているが、返答がないのでとりあえず無所属で出る」としていたが、候補者公募に漏れ、直前になって埼玉5区での出馬を取りやめ、埼玉15区(さいたま市桜・南区、蕨市、戸田市)から出馬したが落選。3,957票。選挙結果が自民党の圧勝という結果に終わり、選挙前に立ち上げた政治団体「自民党民主党過半数割後の政治を主導する新党」の行方が注目される。
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