屠殺
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屠殺(とさつ)ないし屠畜(とちく)とは、食肉や皮革等を得るために、家畜等の動物を殺すことである。「屠」は「ほふる」の意であるが、近年の日本では、「屠」の文字が常用漢字ではないことから、と殺やと畜と表記されることも多い。
なお、この「屠殺」という言葉は、差別用語と見なされる場合がある。しかし日本語に特に該当する言い換え語が無く、食肉加工業の中に曖昧化されて含まれる傾向が見られる。
類義語には〆る(しめる:一般的に鶏や魚に用いる表現)やおとす、または潰す(つぶす:一般的に牛や豚に用いる表現)がある。
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[編集] 概要
屠殺は、人間が家畜を飼うようになって以降、肉を食べたりその皮革を利用するために行われてきた。それ以前には、野生動物を捕獲する際に致命傷を与えるなどして殺害していたが、これは「捕殺(ほさつ)」とも呼ばれ、動物を捕らえるために殺す・その肉体を確保するために殺す行為(→捕食)であることから、屠殺とは区別される。
屠殺は、社会の発展と都市構造の発生・発展に伴い、次第に分業化と一元化されるようになってきた。古くは各家庭もしくは酪農家で家畜の生命を絶つ行為が一般的に成されていた物が、肉屋などの専門業種による屠殺へと変化し、更にはと畜場や食肉工場といった専門施設における集中処理へと変化し、世間一般の目には触れないようになっていった。
方法は各国の歴史文化などにより異なる。古くはイスラムなどで行われるナイフで頚動脈を切る、斧で首を切りつける方法であった。また特殊な例ではモンゴルなどで行われる心臓付近にナイフで傷をつけ、手を差し込んで心臓の血管をちぎるというものがある。以前は日本でも人手でとがったハンマーで頭部を強打する方法や棒を射出する銃で狙撃する方法がとられていたが、動物の苦痛を減らすため電気ショック法などに変わった。
これらは主に、動物の生命を絶ち食肉に加工する上で発生する血液や食品廃材といった副生成物(産業廃棄物)の処理や、あるいは食糧生産や環境に対する衛生面での配慮、加えて「殺害する」という面での倫理的な不快感といった事情にも絡んでの分業化・一元化であるが、特に宗教などの食のタブーといった理由から、特定の処置が食料生産に求められる地域では、一種の宗教的な施設であるという側面も持つ(→カシュルートやシェヒーターなど)。
[編集] 屠殺の思想
屠殺では、その行為によって動物が苦しまないようにとの配慮が成されている場合も多い。近年では動物虐待に対する忌避感もあるが、その一方で過度に暴れさせるような屠殺は動物に不要且つ過剰な苦痛を与えるだけでなく、従事者にとって危険であり作業効率も悪い。このため多くの社会では、より速やかに且つ苦しませずに動物を絶命させる方法が研究されてきた。
現代では先進国を中心に、炭酸ガス麻酔、あるいは頭部への打撃や感電による失神の後に首の動脈を切断することによる失血死、あるいは失神後に脳組織を物理的に損傷させることで生命活動を停止させる方法が取られている。しかし宗教的な理由にも絡み、古くからの伝統的な屠殺方法を取っている事の多いイスラム圏などでは、後肢に綱を掛け頭部を下にして吊るしたら、間を入れずに動脈を切断し、ある程度は空中で暴れさせて、急速に失血死させる方法を取っている。
なお失血死という方法は、肉に血液が残る量が最小限に抑えられ、肉の劣化や腐敗を遅らせる効果もあっての事で、特にこれは冷蔵庫が普及する以前は、鮮度の低下で廃棄される肉を最小限に抑えるための技術でもあった。この技術が発達した背景には食中毒の予防と同時に、犠牲となる生命に敬意を払い、無駄を最小限とするための倫理的な思想も見出される。
肉食という行為は、動物の生命を頂く事で自らの生命を永らえさせるものである。このため犠牲となる動物に感謝を捧げる思想も見られ、その感謝の意味で苦しませる事への忌避も見られる。その延長で動物の苦痛に対しても言及している文化もあり、例えばユダヤ教では「一回の切断で致命傷を与える(何度も切り付けない)」ために、屠殺に使う刃物(ナイフ)は「良く研磨されているもの」と定めている。これは「よく切れる刃物で切り傷を負った場合は、一時的な麻痺により負傷直後は余り痛みを感じない(後に治る過程での痛みはある)が、切れ味の悪い刃物で怪我をすると、切った直後から酷く痛む」という人間自身の経験によるものであると考えられる。
多くの文明社会では、畜肉に対する感謝を表す人間の活動が大なり小なり見られ、感謝祭や慰霊などといった宗教行事にも関連している。
[編集] 屠殺と社会問題
屠殺は旧来、家畜を飼っている各家庭では日常的かつ普遍的に行われていたが、これが次第に世間一般から隔離されるにつれて穢れのように扱われ、差別を被った事例もある。日本でも明治時代よりの社会変化で食肉産業が発達したが、その初期に被差別部落などの絡みもあり、家畜の屠殺や解体を行う者が差別を被るといった社会問題が発生した。
近年では食肉はスーパーマーケットやコンビニエンスストア、ファーストフードやレストランといった所で精肉され調理前のものや加工された物、あるいは調理済みのものが普遍的に見られる。しかしそれらが、動物の生命を奪う事によって生産されているという事実が社会から隔絶されているため、肉を食べていても屠殺は残酷だと考える人も多い。屠殺の映像にショックを受け、菜食主義になる者も見られる。この弊害に関して、近年の日本では一部教育機関で「自分たちの命の糧(=食料)が何処から来ているのか」を知る教育、つまり食育として、敢えてと畜場を見学させる所も出ている。
しかし動物愛護団体ないし環境ロビイストの中には、よりショッキングに見えるよう恣意的に編集された映像を作成・流布していると見なされる団体もあり、この辺りがより、屠殺に従事している一部の労働者への差別に発展する危険性も含んでいるようだ。これらの団体は、そのエキセントリックな活動から、一部のインターネットコミュニティ上で、揶揄の対象となるケースすら散見される。
[編集] その他
- 「屠」の文字が常用漢字では無いことに加え、差別用語にも見なされることから、本語はMSIMEなどの日本語変換プログラムでは変換されない言葉と成っている。
[編集] 関連項目
- 子どもたちが屠殺ごっこをした話 - グリム童話集内にかつて含まれた話。残酷で寓意も救いも無い事から読者に嫌われ、外された。
- と畜場 - 化製場
- ベイブ - この映画では、動物に対して感傷的な態度と平行し、食肉を得るという行為の意味を示唆したシーンがややコミカルに描かれている。
- 業 - もったいない
[編集] 参考書籍
- 鎌田慧『ドキュメント 屠場』(岩波新書、1998年6月) ISBN 4-00-430565-9