小沢遼子
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小沢 遼子(おざわりょうこ、1937年(昭和12年)5月4日 - )は東京都出身の社会評論家。
埼玉県立浦和第一女子高等学校、法政大学社会学部心理学科卒業の後、広告代理店、出版社勤務を経て、1967年(昭和42年)、当時継続していたベトナム戦争に異議を唱えるため、彼女は"埼玉ベ平連"(ベトナムに平和を!埼玉市民連合)を結成し、自ら代表としてベトナム反戦運動を展開した。
1971年(昭和46年)浦和市議選に立候補し、最高得票で当選した。1983年(昭和58年)には埼玉県議会議員に当選。1987年(昭和62年)、二期目を目指した県議選では高校の後輩で浦和市議時代ともに会派を組んでいた岡真智子(現在はさいたま市議会議員)が立候補し、支持者を奪い合った末に落選(岡は当選)。以後政界を退き、社会評論家として活動するようになる。日本社会党から国政選挙への出馬をもちかけられたこともあったが断っている。
平成に入ってからは原子力・放射能関連問題にも関わるようになり、1998年(平成10年)・1999年(平成11年)には原子力政策円卓会議モデレーターに就任し、就任後に茨城県東海村で発生したJCO臨界事故にも関わった。2000年(平成12年)には、放射性廃棄物シンポジウムコーディネーターに就任(放射性廃棄物シンポジウム自体この年で終了)。
現在では、テレビなどのメディアに重用される著名な評論家の一人となっており、政治・社会問題から生活・芸能まで幅広い評論活動を行っているほか、バラエティ・トーク番組にゲスト出演することもある。また彼女自身、大の阪神ファンとしても知られ、阪神ファンになった経緯は、当時の阪神の選手がイケメンぞろいだったからという簡単な理由であった。
家族は夫と長男・次男。
[編集] 著書・編著・共著
- 「てる日くもる日女がひとり」(住宅新報社)
- 「あしたの女たちよ!」(じゃこめてい出版)
- 「つらい女は美しい」(ゆまにて)
- 「対談女が斬る」(講談社)