国対政治
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国対政治(こくたいせいじ)とは、55年体制下で自由民主党と日本社会党両党の国会対策委員長同士が国会対策委員会の場で円滑な国会運営する為に指しでの話し合いや国会運営の実権握った事を揶揄する言葉である。
自民党と社会党の国対委員長がパイプを握る事が多々あった。有名な所で金丸信・田邊誠、渡部恒三・大出俊、梶山静六・村山富市、小里貞利・野坂浩賢など
また国対政治の現実として自民党が日本社会党・公明党・民社党3党の国対幹部と頻繁に連絡を取り合い(接待・金品の授受等)裏取引を行う事で国会の運営の正常化を円滑にしていた事も事実であるうえ野党の国対族(関係者)は、自民党を追及する事にためらう者がいたと言う。また1980年代には、日本共産党を排除した国対委員長会談が頻繁に行われたが90年代になって急激な党勢拡大段々排除がなくなった。
55年体制は、1993年8月6日細川内閣の発足で自社両党に国会運営を握った国対政治も崩壊した。細川内閣以降の政権は、国対政治は機能しなかったが96年橋本龍太郎内閣の下での通常国会で自民新進両党がピケ戦術と審議拒否の応戦で国対政治の重要性を認識し、小渕恵三内閣で国対政治が復活した。それまでの国対政治は自社2大政党だけだったが国会全会派参加による国対政治へと変化した。
現在では、自民党(+α公明党)と民主党とで国対政治が続いている。
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