吉村功
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吉村 功(よしむら いさお、1941年1月25日 - )は、昭和後期・平成期(1960年代後半 - 2000年代前半)の東海テレビの元アナウンサー。東京都中野区出身。
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[編集] 来歴・人物
東京都立大泉高等学校 、早稲田大学政治経済学部自治行政学科を卒業後、東海テレビに入社。スポーツ中継担当のアナウンサーとして、プロ野球・中日ドラゴンズ戦や名古屋国際女子マラソンの中継の実況や、「プロ野球ニュース」などを担当した。2004年度末に定年退職。現在、AM岐阜ラジオで原則毎週月曜18:30~20:00放送の番組「吉村功のスポーツ・オブ・ドリーム」でパーソナリティを務めている他、東海テレビの契約アナウンサーとしても活躍している。
[編集] エピソード
肘をついて喋るスタイルがお馴染みであるが、カメラがパンすればいつでも肘をつこうとする癖があるため、取材中などは腰の位置ぐらいの手すりに肘を置いていることもある。また、2004年の日本シリーズで、落合博満監督が勝利監督インタビューで「もうナゴヤドームには帰ってこないかもしれない」(3・4・5戦の敵地「西武ドーム」での対戦の内に中日ドラゴンズ・日本一を決めるという意味)と喋って話題になったが、「これは吉村アナの誘導尋問ではなかったのか?」として物議を醸した。
1982年、中日ドラゴンズ・悲願のセ・リーグ優勝を横浜大洋ホエールズ戦で果たし横浜の宿舎で優勝祝賀のビール掛けが行われた時、吉村はインタビュアーとして雨合羽を着て、はしゃぐ選手を捕まえてインタビューを行っていたが、近藤貞雄監督以外の選手達へは全て「くん」付けで呼んで、素になった吉村がいた。
[編集] アナ引退
定年後も東海テレビで契約アナウンサーとして活躍してきたが、2005年9月6日放送のプロ野球中継にて、地上波中継からは卒業。最後の地上波中継には、旧知の仲である星野仙一が解説者として駆けつけた。以後もCSでの東海テレビ制作の中継には登場する。
[編集] 実況・名言
- 「どうしたんでしょう、郭はもう泣いています。マウンド上の郭は早くも泣いています」 - (1988年10月7日の中日ドラゴンズvsヤクルトスワローズ、リーグ優勝を目前にした郭源治のマウンド上の様子を見て)
- 「こんな試合今まで見たことない」 - (1989年8月12日の中日ドラゴンズvs読売ジャイアンツで、落合博満がノーヒットノーラン目前の斎藤雅樹から逆転サヨナラ3ランホームランを打った際)。なおこの「こんな○○は(今まで)見たことない」は、種目を問わず思わぬ展開になった場面で使用することがあるフレーズだが、中でもこの試合が最も有名である。他にも名古屋国際女子マラソン中継でも、何度かこのフレーズを聞かれた。
- 競馬において、中京競馬場の第3~第4コーナーの勝負どころを、競馬場の至近に位置する桶狭間の戦いで知られる桶狭間古戦場跡にちなんで「桶狭間ポイント」と呼ぶことがあるが、その名付け親でもあり、実況でしばしば使用していた。
- 南井克巳の引退レースでは終始南井の馬(このとき騎乗したのはリキアイワカタカ)のみを実況し続け最後の直線では、「がんばれがんばれ南井克巳」「南井が先頭」と叫んだ。
- 1994年10月8日の中日ドラゴンズvs読売ジャイアンツ(いわゆる10.8決戦)は両チームとも69勝60敗となり、勝ったチームがリーグ優勝となる試合。この日は東海テレビにて中継が行われ実況を担当した。試合は読売ジャイアンツが槙原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄の3本柱の活躍で勝ち、リーグ優勝を決めたが、中継中「何が起こるかわかりません」を連発。興奮したあまり「何がわかるか起こりません」と言ってしまった。
- 2004年3月14日、アテネオリンピックマラソン代表選考を兼ねた名古屋国際女子マラソンでは、土佐礼子がレース終盤の37Km付近で一旦は先を越された大島めぐみを執念でかわして逆転、最初に土佐が瑞穂陸上競技場に帰ってきた。土佐の優勝は濃厚だったが、問題はゴールタイムだった。「問題はタイム!なんとか2時間24分を切って23分台で入って欲しい!今2時間23分30秒...今40秒!今50、51、52、53、54、55、56、57!24分を切った!」と、吉村はゴールテープを切るまでカウントダウンをする実況をした。
[編集] 現在の出演番組
- 吉村功のスポーツ・オブ・ドリーム
カテゴリ: ローカル局のアナウンサー | スポーツアナウンサー | 1941年生 | 東京都出身の人物