南京町
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南京町(なんきんまち)は神戸市中央区の元町通と栄町通に挟まれた狭いエリアの通称で、正式な地名ではない。南京町商店街振興組合の登録商標でもあり、中国風の意匠を特徴とする中華街である。横浜中華街、長崎新地中華街とともに日本三大中華街の一つで東西約200m、南北110mの範囲に100あまりの店舗が軒を連ねる。店頭の路上で点心、スイーツ、食材、記念品などを売る店も多く、休日は地元の買い物客や観光客で賑わう。
「南京町」という用語はかつて中国人街を指す一般名称であったが、そのほとんどは戦後改称したため、現在では事実上神戸のこの地区のみを指す固有名詞となっている。
南京町の中央通りは十字路になっており、中央の広場にはあずまや、東は長安門、西は西安門、南は南楼門という名前の門があり、北は元町商店街につながる。
午前10時ごろから店が開き始めるが、車両通行禁止になる午前11時までは納品車両が行き交うので歩行には注意が必要である。
日が暮れて夜になると長安門やあずまやはライトアップされる。
横浜華僑6000人に対して神戸華僑は8000人といわれる。しかし横浜南京町(横浜でも1955年までは南京町と称した)と比べると神戸南京町は随分と小ぶりである。従って、実際に生活の場でもある横浜中華街と違い、神戸の南京町には居住者は少なく、ほぼ純然たる商業地となっている。関帝廟や学校などの華僑関連施設も町の外側に点在している。そして、実際の神戸華僑の居住地は鯉川筋、トアロード、北野町などであり、神戸の有名中華料理店の大半も南京町ではなく三宮など市内中心部に拠点を置いている。これは、神戸では雑居地に南京町が開かれた結果であると言われているが、また神戸華僑の人々が日本人社会と良好な関係を築いてきた証拠ともされる。古くは呉錦堂に代表されるように事業に成功した者も多く、華僑といえば商売上手で裕福な人も多いとみなされてきた。そのため民族的対立も比較的少なく、良好な関係を築いてきたと言われている。それゆえ、神戸においては"南京町"という名称を既に世間に広く認知されているとして、戦後も変更しなかったとされている(戦前の一時期、"南京さん"等の言葉が蔑称的に使用された事もあった。横浜は戦後、"中華街"に改称)。近年、春節祭などの主要な行事に、多くの日本人も参加している。そして、当日には多くの市民や観光客が集まり、南京町のみならず神戸市の重要な行事にもなっている。また最近では、華僑子弟の多くが通う神戸中華同文学校に入学する日本人子弟も増加してきている。
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[編集] 歴史
1868年に神戸が開港し、外国人用の居留地が設けられた。ただ 当時の清とは通商条約を結んでいなかったため、華僑は居留地内に住むことを許可されず、周辺に住始めたのが南京町の始まりとされる。
昭和50年代までは路地の舗装もされず、周辺には船員向けのバーが立ち並び、夜になれば売春婦が立つようなエリアであったが、1981年(昭和56年)の「南京町復興環境整備事業実施計画」以降は広場や楼門の建造などの環境整備が行われ、一気に観光地化が進んだ。
第二次世界大戦および阪神・淡路大震災で打撃を受けたこともあるが現在は復興している。特に、阪神・淡路大震災の際に行われた中華料理店の前での軽食の販売は、好評のため復興後も継続され、現在の南京町でも名物となってている。
[編集] 行事
- 春節祭
- 中秋祭
[編集] 名物
[編集] 関連項目
[編集] アクセス
- JR西日本、阪神電鉄元町駅より南東へ徒歩約5分
- 神戸市営地下鉄海岸線旧居留地・大丸前駅よりすぐ
[編集] 近隣の名所・文化施設
[編集] 外部リンク
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