勝瑞城
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勝瑞城(しょうずいじょう)は、阿波国板野郡勝瑞(徳島県板野郡藍住町勝瑞)にあった城。平城。国指定史跡。戦国大名・三好氏の居城であり、近年の発掘調査でその繁栄の一端をうかがうことができた。
[編集] 概要
鎌倉時代初期、阿波国守護であった小笠原長清が守護所を設けたのが始まり。南北朝時代の延元2年、細川詮春が秋月城からこの地に守護所を移し勝瑞城と称した。以後、阿波細川氏の居城となり、天文22年(1553年)、細川持隆が、家臣三好義賢に謀殺され、実権が三好氏に移った後も、引き続き同氏の居城として使用された。四国を代表する文化都市として発展していたが、天正10年(1582年)、長宗我部元親の侵攻を受け、十河存保は讃岐国に敗走。城は廃城となった。現在は、遺構の大半が失われ、土塁と堀の一部、三好氏の菩提寺見性寺が残るのみだが、西隣の三好義賢の居館跡とみられる勝瑞館跡と共に国史跡に指定されている(2001年1月29日指定)。近年発掘調査が進み、城跡や館跡からは多数の茶器や陶磁器が出土している。