兵庫県立長田高等学校
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兵庫県立長田高等学校(ひょうごけんりつながたこうとうがっこう)は、兵庫県神戸市長田区にある県立高等学校である。校舎は、兵庫県立長田商業高等学校 (定時制) が夜間に使用するほか、兵庫県立青雲高等学校 (通信制) がスクーリングのため休日に使用している。同窓会は神撫会と称する。「神撫」(しんぶ) とは近くの高取山の古名にちなみ、学校の雅称として用いられている。
兵庫県立長田高等学校 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 兵庫県 |
創立 | 1921年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
学科 | 普通科 |
所在地 | 〒653-0821 |
兵庫県神戸市長田区池田谷町2丁目5 | |
電話番号 | 078-621-4101 |
FAX番号 | 078-621-4102 |
外部リンク | 公式サイト |
目次 |
[編集] 沿革
[編集] 旧制第三神戸中学校(神戸三中)
- 1919年 8月、兵庫県第三神戸中学校新設が県会で議決。
- 1920年 4月17日、文部省告示第274号により兵庫県立第三神戸中学校設立認可。
- 1921年 4月16日、第1回入学式。
- 1923年 5月、図書館落成 (現 神撫会館)。 - 現在残っている三中唯一の建物
- 1926年 3月、第1回卒業式。同窓会 「神撫会」 結成。
- 1932年 12月26日、校舎の大部分を焼失、講堂・体育館・図書館を仮教室として使用。
- 1934年 5月、鉄筋コンクリート造の新校舎落成。 - 1994年-1996年 に解体された。
- 1934年 6月、旧制第二神戸商業学校 (現 長田商業高等学校) と同居開始。
- 1936年 2月、三中校歌 「日出づる国」 制定。
[編集] 長田高等学校
- 1948年 4月1日、学制改革により兵庫県立長田高等学校と改称。希望の多かった 「神撫」 にちなんだ名称は漢字制限のため実現しなかった。
- 1949年 4月16日、高校第1回入学式。男女共学となった。商業科を併設。
- 1950年 10月7日、新校歌制定(富田砕花作詞、信時潔作曲)
- 1953年、応援歌・逍遥歌制定。
- 1955年、商業科廃止。
- 1957年 4月、通信教育部併設。
- 1961年 5月、神撫台グランド竣工。
- 1963年 9月、南校舎完成。 - 1995年 1月、解体中に震災に遭い崩壊。
- 1965年 4月、通信制課程、青雲高等学校として独立。
- 1970年 9月、服装自由化が全校投票で可決。
- 1994年 8月、現校舎第1期完成。11月、旧校舎の解体開始。
- 1995年 1月、震災により南校舎が全壊したため、旧校舎の解体作業を中断し再使用開始。
- 1996年 1月、現校舎第2期完成。
- 1996年 11月、旧校舎の解体撤去完了。
- 2000年 10月14日(土)、創立80周年記念式典が神戸国際会館にて挙行される。本校OBである中内功氏などが列席した。
[編集] 教育理念
- 智徳体を調和統一して発達せしめ、健全なる人格的基礎を築かしめること。
- 一芸一才を見出し、これを啓培して職業的方向を自覚するに至らしめること。
- 人間の生活すべき真の道 即ち生活の指導原理を把握するに至らしめること。
旧制神戸三中の初代校長、近藤英也氏の示した 「神撫精神」 が引き継がれている。新入生は今も、近藤校長が入学者の心構えを記した 「開門章」 を受け取る。近藤校長が目指したものは、個性主義・自由主義的な教育であった。 卒業生が受け取るのは、「Ad astra」(星に到らん、の意) と銘された記念メダルである。
[編集] 特色
- 兵庫県内の公立トップ校であり、県内私学をあわせても有数の進学校である。部活動も盛んで、陸上競技部はリレーで全国制覇の経験もある。山岳部は県下敵なしの状態で、全国でも上位。文化部も音楽部が全国大会出場・物理部が全国大会4位など好成績である。
- 旧制神戸三中は、神戸一中や神戸二中がエリート育成を目指していたのと異なり、中堅国民の育成を目標としていた。(一中、二中とは異なる存在意義を確立せざるを得なかった、とも言えるだろう。)
- 旧制神戸三中が当時どう見られていたかは、旧制神戸二中出身である妹尾河童の著 「少年H」 の一シーンを読めば充分である。(二中に行けず三中に行かざるを得なかった学友が廊下で泣く話が出てくる。)
- 現在も長田区・西区の一部(調整学区)の中学から兵庫高校(旧制二中)、長田高校(旧制三中)の両校が受験できる。これらの中学の成績上位層は兵庫高校か長田高校のどちらかを選ぶことになるが、近年の大学進学実績、部活動の実績、募集定員、交通の便などから長田高校を選ぶ者が多い。
- 智徳体の一環として、「周回走」 と呼ばれる長距離走が体育の授業に組み込まれ、生徒達は体育の時間の最初に必ず一周412mのグラウンドを男子6周(約2472m)、女子5周(約2060m)走る。以前は雨の日の体育は、体育館を使わず、「ロング」と称し、1時間中ずっと雨の中を走ることになっていた(男子が15周、女子が10周程度)。現在は廃止されている(ただし現在も稀にある)相当の強雨でない限り行われ、ロング用にレインパーカーを制式採用するなどの徹底ぶりだった(ただし購入は生徒に委ねられていていた)。
- 他にも体育のカリキュラムが他校より非常に厳しく、それを嫌がり受験しない生徒もいる。また3年生の2学期には「卒ロン(卒論ではない、卒業ロング)」と称し、累積で42.195kmの走破を目指す。
- プールが校内に無かった時代は、隣の兵庫高校まで走って行き、そこで水泳の授業をやっていた。
- 所在地の「池田谷町二丁目」であるが、「池田谷町一丁目」は存在しない。これはかつての池田谷町一丁目の区域が住居表示の採用により上池田に変更されたためである。
- 神戸大学進学者数がほぼ毎年全国1位である。
- 茶髪・ピアス可であるが、「服装は教育の場にふさわしい清楚なもの」とされている。
- いわゆる制服は存在しない。女子用のセーラー服、男子用の学ランが存在するが、それらをあえて標準服と呼んでいる。『決まり』ではなく、あくまで『目安』という考え方である。したがって、日常では私服での登校が認められている。なお、始業式、終業式などの式典の日には標準服着用で登校することになっている。
[編集] 主な出身者
[編集] 主な進学先
- 国公立大学
- 私立大学