京都市交通局2600形電車
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京都市交通局2600形電車は、京都市電の路面電車である。戦後、1964年から1966年にかけて18両が600形から改造された。
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[編集] 概要
2600形の種車となった600形であるが、1956年から毎年10両単位で20年締替と呼ばれる更新修繕を実施していたが(詳細は600形の項を参照)、1963年当時、未施行車が22両残存していた。これらの車両に対して、同時期に新造された2000形と連結運転及びワンマン運転ができるよう、2000形と性能、条件がなるべく合致するように、毎年6両ずつ改造された。改造内容は下記のとおりである。
- 制御装置は2000形と同一の間接非自動制御式の日本車輌製造NC-579(マスターコントローラー)+NCH-452-RUD(主制御器)を搭載
- ブレーキ装置も当然2000形と同一のM-18A弁を使用するSME非常弁付き直通ブレーキを装備
- 装備機器増加及び2000形と車体長を合わせるため、車体を中央部で斜めに切断。そこへドア部分を1m継ぎ足している(車体長10.7m→11.7m)。継ぎ足し部分の補強として、中央ドア部の屋根裏に600形当時使用していたエアタンクを切って溶接
- 前面は中央の方向幕を2000形と同一の2段式の方向幕を取り付け、下段に行先を、上段には「連結車」または「ワンマンカー」をそれぞれ表示した。前照灯も2000形同様左右2灯とするため、方向幕の左右にあった通風器と経由地表字幕を埋め込み、その上部に2灯取り付けた
- 側面も、窓配置をD5D1211として、前部ドアが2枚引戸、中間ドアが引戸の前中式のドアとなり、後部ドアを埋め込んでいる。後部ドア部分については2段窓と一段固定窓に分割した形で小窓を設けている
- 塗色も2000形同様のクリーム/コバルトブルーの専用色が採用され、前面窓下にオレンジ色のワンマンカー識別帯が入れられた。また、連結器についても2000形同様の電気連結器つきのトムリンソン式密着連結器が取り付けられている
しかし、モーターと台車は、モーターはSS-50またはHS-302A(定格出力37.5kW/h)、台車は住友KS-40Jとその同型台車を装備するなど、それぞれ種車のものを流用した。
これらの改造を受けた結果、600形とは大きく雰囲気が変わってしまい、前面のおでこ回りの流線型と、側面のウインドシル、ウインドヘッダー部分のガッターラインにかろうじて600形の面影が残るのみとなってしまった。また、車体長が延びたことと前扉部分の戸袋部分が減少したことによって台車中心間隔が約1,500㎜延び、オーバーハングが短くなったこととあいまって、600形時代に悩まされていたローリングが解消され、乗り心地は大きく向上した。
これらの改造工事は、2610~2612の3両がナニワ工機で実施されたほかはすべて交通局の直営で施工(壬生車庫内にあった壬生電車車両工場で施工)された。このとき培われたノウハウがその後の1600形・1800形・1900形などのワンマン化改造に生かされることになった。
[編集] 連結運転時代
2600形は、2000形ともども烏丸車庫に配属され、2000形と共通運用を組んで4系統に集中投入されて、ラッシュ時の連結運転(最初の連結運転区間は、京都駅前~烏丸車庫前間)及び昼間時のワンマン運転に充当された。両形式の増強に伴い、連結運転区間を西大路線・北大路線の全線と東山線の百万遍以北に拡大し、1966年には連結車の運用を10編成にまで増やしている。
当初、2600形の改造は30両実施することを計画していたが、1967年以降は京都市交通局が財政再建団体に転落してしまったため、より簡易なワンマン改造を施した1600形への改造に移行した。そのため、1967年現在未更新で残った612,655,662,667の4両は直接1600型に改造され、2600形への改造は打ち切られた。ただ、1967年以降も2600形への改造を続けた場合、未更新車の種車が尽きることから、残りの8両分は600形戦時タイプ(686~695)から改造されたものと思われる。
その後の変化も2000形同様、当初の塗色を、京都市電標準色のクリーム/グリーンのツートンカラーにワンマンカー識別用の赤帯を巻いた姿に変更したほか、1971年に連結車の運行を廃止した際の連結器の撤去と、京福電気鉄道嵐山本線への連結器譲渡の過程も2000形と同様である。また、烏丸車庫所属系統のワンマン化の進展による運行区間の拡大も2000形と歩調を合わせて実施された。
[編集] その後
1974年の烏丸線(七条烏丸~烏丸車庫前間)廃止後、車掌の職場確保のために2600形のうち2617,2618の2両が、2000形全車及び1600形のうち10両とともにツーマン車として運行されることになり、ワンマン識別用の赤帯を撤去するなどのツーマン改造を受けた。しかし、2600形改造の暫定ツーマンカーは、同年末までに、他形式の暫定ツーマンカーより早く全車ワンマンカーに復帰した。
廃車は、2605号が1974年に主幹制御器を敷石にぶつけて廃車されたのが第1号で、1976年4月の丸太町・白川・今出川線の廃止時に2601号が廃車された。残り16両は2000形と同じく、1977年の河原町・七条線廃止時に全車廃車された。
交通局の手による保存車はないが、2603号が京都市左京区の「京都コンピュータ学院北白川校」敷地内に1800形1801号とともに展示されている。また、制御器一式が伊予鉄道松山市内線に譲渡されて、モハ50形51~61号の間接非自動制御化に活用された。
[編集] 参考文献
- 京都市交通局編『さよなら京都市電』1978年 毎日ニュースサービス社
- 『鉄道ピクトリアル』各号(1978年12月臨時増刊『京都市電訣別特集』、2003年12月臨時増刊『車両研究』)
- 『鉄道ファン』各号(1964年6月号『京都市交通局2000形・2600形登場』、1967年4月号『京都の市電(続)』)
- 『関西の鉄道』1995年32号『京都市交通特集』