伊予鉄道モハ50形電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊予鉄道モハ50形電車 |
|||
---|---|---|---|
両数 | 22両 | ||
営業最高速度 | 40km/h | ||
設計最高速度 | km/h | ||
編成出力 | 50kW×2 = 100kW | ||
編成定員 | 80人 | ||
全長/全幅/全高 | 11,950mm/2,430mm/4170mm(51~53) | ||
編成重量 | 15.88t(51~55,57~61) | ||
軌間 | 1067mm(狭軌) | ||
電気方式 | 直流600V | ||
制御装置 | 間接手動加速抵抗制御(電磁空気単位スイッチ式) | ||
ブレーキ方式 | 直通空気ブレーキ | ||
製造 | ナニワ工機(現アルナ車両) 帝國車輛工業(現東急車輛製造) |
||
集電装置 | 全車 Zパンタ |
モハ50形電車は、伊予鉄道の軌道線用電車。1951年から1965年にかけてナニワ工機(現アルナ車両)と帝國車輛(現東急車輛)で製造された。モハ2100形増備により代替廃車が進行しているが、依然として軌道線用車両の主力である。
現存車は、製造年によって2つのタイプに分ける事ができる。
ワンマン化は、1970年から1972年にかけて行われた。また、冷房化改造は1981年から1984年にかけて行われた。
目次 |
[編集] 前期形(51~61)
すべてナニワ工機の製造である。深い屋根の重厚な外観を持ち、古い工法で製造されている。
製造当初は直接制御方式だったが、1979年に京都市電から2600形の制御器を購入して間接制御化。電動機も50kWの物に取り替えられた。
[編集] 51~53
1951年製。伊予鉄道軌道線初のボギー車。
集電装置は製造当初ポールだったが、のちビューゲル化された。客用扉は製造当初前後端に配置されていたが、のち後前中に改められた。
[編集] 54~55
1953年製。
51~53と同型だが、製造当初からビューゲルが搭載されていた。客用扉位置は51~53と同様の変遷をたどっている。
[編集] 56~58
1954年製。製造当初から前中扉で、客用窓は上段窓がHゴムで固定された「バス窓」となった。
2100形増備に伴い、56が廃車されたため、57・58のみ現存する。
[編集] 59~61
1957年製。当時最新の防振台車を採用した。また、前面窓も大きくなった。
[編集] 後期形(62~78)
62~69はナニワ工機で、70~78は帝国車輌で製造された。屋根の浅い軽快なスタイルで、軽量構造を採用している。製造当初からすべて間接制御方式を採用している。
[編集] 62~64(全廃)
当時のバス車体の工法を取り入れた軽量車体で、側面に補強用のリブとリベットがある。また、この車両のみ前扉が2枚引き戸である。
1960年に3両が製造されたが、2100形増備により廃車が進み、最後まで残っていた62が2005年3月に廃車。
これにより、2枚引き戸車は全廃された。
[編集] 65~69
1962年に5両が製造された。車体の構造は62~64と変わらないが、前扉が1枚引き戸になった。
2100形増備により、65が廃車されたため、66~69が現存する。
[編集] 70~73
1964年に3両が製造された。車体の形態は65~68と変わらないが、工法が従来の工法へ戻ったためリベット・リブがなくなった。
また車体重量も62~69より1トン増加している。
製造当初はコイルバネ台車を履いていたが、後に名古屋市電から購入した中古台車に交換された。
[編集] 74~78
1965年に5両が製造された。71~73と同型である。
[編集] 過去に在籍していた車両
[編集] モハ50形1001~1003
元は呉市電1000形で、呉市電廃止前の1967年に譲渡を受けた。伊予鉄道の軌道線で唯一セルフラップ式(ブレーキハンドルの位置とブレーキ力が無段階に比例する)の制動装置が使われていた。モハ50形62~64と同型車(ただし台車のみ別形式)であるが、1000形の方が1959年製造と先に登場している。また、譲渡前の外観はどちらかと言えば、同型のモハ50形よりも東京都電2500形に似ている。
2001年に、1003が事故で廃車されたのを皮切りに廃車が始まり、2004年3月1日に最後まで残っていた1001が引退した。
1001は呉市に返還され譲渡前の姿に復元されたのち、7月に呉ポートピアパークに保存された。
- 1001:2004年3月1日廃車→呉市に返還
- 1002:2002年3月廃車
- 1003:2001年10月に事故で廃車
[編集] モハ50形81
元南海電鉄和歌山軌道線の321形324号で、1971年に譲渡を受けた。しかし、1両だけだったこと、車体長および幅がほかの車両より極端に異なっていたことなどから使い勝手も悪く、予備車となった。
非冷房のまま、1987年に廃車された。 なお、81の廃車体は1993年まで存在した。
カテゴリ: 鉄道関連のスタブ項目 | 路面電車車両 | 伊予鉄道