五十嵐章人
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五十嵐 章人(いがらし あきひと、 1968年4月12日~)は、平成期(1990年代~)のプロ野球選手、野球解説者、コーチ。群馬県前橋市出身。
日本プロ野球で全ポジションでの出場(高橋博士以来、日本プロ野球史上2人目)、全打順本塁打(日本プロ野球史上6人目)の両記録を達成した史上唯一の選手として知られる。また、全打順での先発出場も記録している。
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[編集] 来歴・人物
1986年に前橋商高のエースで3番打者として夏の甲子園大会に出場。日本石油に入社後、打者に転向。主に外野手としてプレーした。1990年の秋のドラフトで3位指名を受け、外野手としてロッテに入団。のち遊撃手を経て、二塁手に転向。1995年5月7日の対オリックス戦で、風疹の流行による選手の欠場に加え、山中潔の代打交代、定詰雅彦が退場処分を受けたことにより捕手がいなくなり、急遽、捕手として出場。
1998年にオリックスへ移籍。2000年6月3日の対近鉄戦で投手として登板。五十嵐が投手としてプレーするのは、高校時代以来のこと。史上2人目の全ポジションでの出場を達成(これに加えて参考記録であるが指名打者としても出場している)。2002年に近鉄に移籍。同年、全打順本塁打を達成。2003年に引退。その後は野球解説者、サンケイスポーツ(大阪)評論家。
また、2006年からプロ野球.comでドリームベースボールというオンラインゲームに参加し、ブログも開いた。
2006年11月26日福岡ソフトバンクホークス二軍外野守備走塁コーチに就任。
[編集] 通算成績
- 打者 841試合 打率.237(1750打数 414安打) 25本塁打 168打点 5盗塁
- 投手 1試合 0勝 0敗 1投球回 防御率0.00
[編集] エピソード
- オリックス時代の2000年6月3日に投手として登板して全ポジション出場を達成したが、この試合での登板はベンチ入りしていた投手を全て使い切ったと言うような特殊な事情によるものではなく、当時の仰木彬監督が五十嵐に全ポジション出場を達成させるために狙って登板させたものである。その為、当時オリックスに在籍していた嘉勢敏弘や今村文昭のように投手転向するといった事はなく、彼が投手として起用されることは二度となかった。