モーグ・シンセサイザー
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モーグ・シンセサイザーは、アメリカの電子工学博士、ロバート・モーグ (Robert Moog)〈1934年5月23日-2005年8月21日〉が開発したシンセサイザー。複数モデルがあり、最初のモデルは1964年に開発された。
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[編集] 概要
モーグ・シンセサイザー (MOOG Synthesizer) は、電気的振動を発生、変調、制御する統合的電圧制御モジュール群で構成され、アナログシンセサイザーの基本構造を初めて完成形として実用化した電子楽器である。
[編集] 代表機種
[編集] ミニモーグ(MiniMoog)
1970年に開発された世界初のステージ仕様のシンセサイザー。キース・エマーソン等、世界中のミュージシャンに愛用されている。モジュラーシンセサイザーが各機能をコードで接続していくのに対し、機材の内部であらかじめ幾つかの接続を済ませており、それをスイッチで選ぶ様に作られている。後に当たり前になるこの方式は、音色設定の自由度は制約されるが、操作の容易さとわかりやすさにより、機械いじりが苦手なプレイヤーでもシンセサイザーが簡単に扱えるようになった。モノフォニックであるが、3つのVCOと電圧制御型フィルタやアンプ等を内蔵しており、以後発売されたシンセサイザーのお手本となった。電気系の信頼性が低いためにライブ等では思わぬときに使用不可となることも多かったが、「太く深みのある」そのサウンドは発表から30年以上経った現在でも多くのミュージシャンが愛用しつづけ、また新たなファンとなる若手ミュージシャンも多い。Studio Electronicsにてラックマウント化されたMIDIMOOGが存在する。現在はMinimoog Voyager(上記写真下)が発売されている。ミニモーグをエミュレートしたソフトシンセサイザーとしてアートリア社からミニモーグ Vが発売されている。
[編集] ポリモーグ(Polymoog)
和音が出せる初のモーグ・シンセサイザー。Moog Musicのデイブルースによって開発されたもので、71鍵完全発振式である。モーグは開発に関わっていない。正式な発表は1975年だが、1973年にはキース・エマーソンが試作品を使用していた。正式発表後はクラフトワークやYMOも使用していた。polymoog synthesizerとpolymoog keyboardの2機種が存在する。
[編集] モジュラーモーグ(Moog System)
モジュラーモーグは、単独仕様の一機種では無く、シンセサイズ機能を個別機能毎にモジュールとして分割し、タンスほどもある大きさの箱に、注文に応じてそのモジュールを組み込んでいくオーダーメイド製品として販売された。1960年代後半になると、いくつかのモジュールを組み合わせ、セット製品としても発売された。これらの代表的な製品としてMoog System IIIや、Moog System 10、12、15、25、35、55などがある。初期のモジューラーモーグとしては、Moog I があり、ロバート・モーグがウォルター・カーロス(現ウェンディ・カーロス)からの意見を元に音楽的な観点から音作りと演奏ができる製品として世に送り出したものだ。I、II、IIIとギリシャ文字で表された機種と、アラビア数字による10~55までの機種の性能の違いは、アラビア数字の機種のほうが新しく、VCOモジュールや、フィックスドフィルターバンク等の一部の機能が新しくなっており若干の性能向上が図られている。
[編集] メモリーモーグ(MemoryMoog Systhesiezer)
音色を記憶できるモーグの6音ポリフォニックシンセサイザー。ポリモーグが分周方式で和音を生成しているのに対し、メモリーモーグはCPUアサイン方式で生成している。発表は1982年だが、1984年年に、MIDIに対応したメモリーモーグプラス(MemoryMoog Plus)が発売された。基本的に、ミニモーグを6台内蔵した構造になっており、全部でVCOが18個内蔵されている。6音和音で演奏することが基本であるが、モノフォニックモードでは18個のVCOが一斉に鳴り、そのサウンドは強烈である。なお、メモリーモーグはDr. MOOGは一切開発には携わっておらず、Moogモジュラーの頃からエンジニアとして活躍していたリッチ・ウォルボーンによって開発された。
[編集] モーグ・シンセサイザーの音楽界での使用例
ポピュラー音楽界では、1967年にザ・モンキーズがアルバム『Pisces Aquarius Capricorn & Jones Ltd』(邦題:『スター・コレクター』)で初めて使用し、ついで1969年にビートルズがアルバム『アビイ・ロード』で取り上げるに至って広く使われるようになった。
シンセサイザーの音そのものが作品の主な話題になったのは、クラシック音楽ではウォルター・カーロス=ウェンディ・カーロスの「スウィッチト・オン・バッハ」、ポピュラー音楽では1970年代前半のELPの作品が挙げられる。ELPのキース・エマーソンは、本来ライブ演奏向けでは無かったモジュラー式のモーグ・シンセサイザーをステージに持ち込み、演奏中に設定を変えて音を作っていた。こういった試行錯誤が、ミニ・モーグやポリ・モーグといったステージ仕様のシンセサイザーの開発契機となっていく。
ドイツ…当時は西ドイツ…ではモジュラー・シンセサイザーの一機能であるミュージックシーケンサーを活用したミニマル・ミュージックがタンジェリン・ドリーム等によって一般的な人気を獲得し、さらにクラフトワーク等の活動によってテクノ・ポップというジャンルが広まった。ミュージックシーケンサーの正確なリズム保持機能はテクノやディスコ・ミュージックと相性が良いため、大々的に普及する。ただし、しばらくすると、ミュージックシーケンサーの機能は、より扱いが平易で機能が豊富なパーソナル・コンピューターに取って代わられる。
その後はアープやオーバーハイム、シーケンシャル・サーキット等、様々なメーカーのシンセサイザーが出回り始め、演奏家がモーグだけに限定する事は希少になった。モーグ・シンセサイザー・ユーザの代表の様なキース・エマーソンも、1970年代後半はヤマハのGX1を頻繁に使っている。
時代が代わった現在は、アナログ部品主体だった内部回路がディジタル部品で構成され、制御にコンピューター技術が導入される事によって、開発当初とは比べ物にならない高性能かつ高機能のシンセサイザーが登場し、主流となったが、逆に現行機種では作成が困難な音色と音質を求めて、製造中止となった旧式のシンセサイザーを新品と同等もしくはそれ以上の金額で売買するケースも見受けられる。これがいわゆるヴィンテージ・シンセと呼称されるものであり、アナログ制御式のモーグはその代表的な機種として、今でも高く評価されている。
[編集] 日本におけるモーグ・シンセサイザー
モーグ・シンセサイザーを使用した最初のヒットレコード、ウォルター・カーロス(現在は性転換してウェンディ・カーロス (Wendy Carlos) の『スイッチト・オン・バッハ』(1968年、日本発売は翌1969年)は大きな反響を呼んだ。1970年の大阪万博で未来の音楽として電子音楽が紹介されると、多くの人々は電子音の存在を認知するようになった。当時NHKのドラマ音楽などを作曲していた冨田勲は、万博の東芝IHI館の音楽を担当しており、訪れた大阪のレコード店で『スイッチト・オン・バッハ』と出会い、モジュラー型・モーグ・シンセサイザーの存在を知った。
その後、1971年10月頃、モーグIII-P(ポータブル・キャビネット型)を導入。「説明書の記述が原理を説明しただけの薄っぺらいものだったこともあって、最初のうちはろくな音が作れずに、これは鉄くずに高額(当時の一千万円)をはたいて失敗したかもしれないと青くなった」と、後に述懐しているが、操作に習熟すると音作りに没頭する。やがて、CBSソニーから『スイッチト・オン・ヒット&ロック』(1972年)を発表。本作は、生のリズムセクションにシンセサイザーのウワモノをダビングした俗に言う『モーグ・レコード』的スタイルであるが、そこに表れるトミタ独自のシンセサウンドが、やがてドビュッシーのピアノ曲をモチーフにしたアルバム『月の光』(1974年)で開花する。(グラミー賞4部門にノミネート) 。当時、RCAの極東支部長であった山本徳源(後のワーナーパイオニア社長)が、本作の米国RCA本社への売り込みに尽力したと言われている。この頃、松武秀樹は冨田のアシスタント業務を受け持つ「インターパック」に所属していた。
[編集] 日本への輸入
羽田税関事件:モーグ社側は、輸出時のインボイス表記を主に「シンセサイザー」としていた。それに「楽器」または「電子機器」という注釈を付けていたのかは定かではないが、日本での通関手続き時に関税率を第16部・機械及び電気機器=84類の電子機器とするか、85類の録音機器にするか、第18部・92類の楽器及び付属品とするかで、当時税関と輸入者との合意が得られなかったことが「事件」とされているようである。(当時の関税率比較の実数は未確認) 日本の「飛鳥貿易」は1971年6月にモーグ・ミューソニック社とミニモーグの輸入取引実績を持ち、日米間にシンセサイザーの通関実績を残している。鍵盤を備えた外見的な特徴から、ミニモーグの場合は関税率を「楽器」として分類することは難しくなかったと考えられる。しかし、キーボード部分と分離したモジュラー型の場合、税関側が関税率をそれぞれに分離して指示した可能性も考慮されるが実際は不明である。現在は、日米間でシンセサイザー輸入時に、それが「楽器」か「電子機器」かで関税率決定でもめることはない。というのも、すでにどちらの分類でも関税は無税となっているためである。(消費税は徴収される)
米国内で通常最も高額とされたモジュラー・モーグ機種の価格は当時6000ドル程度である。1971年8月15日、ニクソン政権のドル防衛策により1ドル=360円の時代が終わり、円切り上げにより1ドル=308円となる。その後、1973年3月には日本も変動相場性に移行し、1987年には1ドル=100円にまでドルの価値は下落した。
モーグ社側が提示する最初期の日本への出荷記録は以下の通りである。
- 1970年11月10日 ヤマハ (Nippon Gakki Co. Ltd.) モジュラー×3システム
- 1971年2月5日 ヤマハ (Nippon Gakki Co. Ltd.) モジュラー×1システム
- 1971年8月26日 飛鳥貿易(ASKA Trading Co. Ltd.) モジュラー×1システム
- 1971年9月24日 飛鳥貿易(ASKA Trading Co. Ltd.) モジュラー×1システム
モーグ社側には、どの機種がどのユーザーに渡ったかの記録は無い。
ミニモーグの日本への最初期の出荷記録は以下のとおりである。
- 1971年6月30日 飛鳥貿易(ASKA Trading Co. Ltd.) シリアル番号=1149,1150
[編集] モーグとムーグ
オランダ系アメリカ人の Dr. Robert Arthur Moog (Bob Moog) の氏名発音は「モーグ」が正しく、当初は直接販売がほとんどであったため本国でもユーザーや代理店が発音及び表記を誤る例は少なかった。
しかし、日本でヤマハ(日本楽器)が輸入代理業務を始めた1970年代初期は、すでにR.A.MOOG社買収後でモーグ本人が商標権のコントロールを行えない等の事情も重なり、表記について日本からモーグ本人に確認する機会を持つことなく業務が開始されていた。そのため、日本国内での広告、雑誌、店頭表記は誤った発音であるムーグとされ、それが流布し、その誤った発音が一般化する結果をまねいた。
2002年、長期の法廷闘争を経て、モーグがChief Technical Kahunaを務めたMoog Music社(米国ノースカロライナ州アッシュビル)が商標権を正式に取り戻した時点で、公式な表記及び発音を正しく「モーグ」とするよう要請した経緯から、日本でもモーグ・シンセサイザーと呼ぶことを正式とし、特許庁で商標権登録及び表記呼称修正済みとなっている。
[編集] 著名なユーザー
[編集] 海外
- キース・エマーソン(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)
- リック・ウェイクマン(イエス)
- チック・コリア
- ウェンディ・カーロス
- ヤン・ハマー(マハヴィシュヌ・オーケストラ)
- フラビオ・プレモーリ(プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ)
[編集] 国内
- 冨田勲 モジュラーモーグ
- 松武秀樹 モジュラーモーグ、その他
- 厚見玲衣 ミニモーグ、マイクロモーグ、タウラス1
- 難波弘之 ミニモーグ
- 小川文明 ミニモーグ
- 藤森崇多 ミニモーグのみを音源に使った"100% minimoo-G"がアーケードゲームbeatmaniaIIDXに収録されている。
[編集] 参考文献
- ビンテージ・シンセサイザー マーク・ヴエイル 他 リットーミュージック 1994年