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イエス (バンド)

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イエス (インディアナポリス、1977年8月30日)
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イエス (インディアナポリス、1977年8月30日)

イエス (Yes) は、イギリス出身のプログレッシヴ・ロックバンド。1969年にデビュー作「イエス・ファースト・アルバム - Yes」を発表、その年のブライテストホープとなり注目された。代表作は「こわれもの - Fragile (1972年)」「危機 - Close to the Edge (1972年)」、ポップ作品として成功した「ロンリー・ハート - 90125(1983年)」などが挙げられる。

創作面のリーダー、ジョン・アンダーソンの哲学・世界観がその音楽に大きく影響している。アンダーソンのヴィジョンを具現化させるため、あるいはそれに同調できないメンバーもいたためか、優れた技術・センスを持つミュージシャンの出入りが激しく、不安定な活動が長年続いた。組織面でのリーダーであるクリス・スクワイアは結成当初よりグループを仕切り、アンダーソンが不在の時期もイエスを守ってきた。また、ギターのスティーヴ・ハウは途中数年のブランクはあるものの、代表曲の殆どをアンダーソンと共作しており、イエスを語る上で欠かせない人物といえる。

アルバム「ドラマ - Drama (1980年)」でヴォーカリストとして参加し、再結成時にはプロデューサーとして大きく貢献したトレヴァー・ホーン、'80年代に音楽的イニシアティヴを握り、イエス再結成を驚くべきものにしたトレヴァー・ラビンの存在も、賛否が別れるところではあるが評価に値するだろう。

'80年代末期から'90年代にかけて旧メンバーをも巻き込んでの分裂、融合、再編成など迷走が続いたが、現在は'70年代中〜後期のメンバーで落ち着き、穏やかに活動を続けている。

イラストレーターのロジャー・ディーンが幻想的なアルバム・ジャケット、バンド・ロゴ、ステージ・デザインなど多くを手がけ、彼の作品とイエスの音楽は切り離せない、と言えるほど密接な関係にある。

目次

[編集] 音楽性と活動の変遷

[編集] 黎明期

イエス・ファースト・アルバム - Yes(1969年)」「時間と言葉 - Time and a Word(1970年)」は、現在プログレと定義されているような音ではないが、映画音楽のフレーズを引用したり、カヴァー曲ではインストゥルメンタル・パートを引き延ばして即興に入ったりと、比較的軽い実験が聴ける。

結成当初に目指していた、または影響を受けた音楽として、ビートルズザ・フーバーズクリームヴァニラ・ファッジなどのアート・ロックサイケデリック・ロックが挙げられている。クリス・スクワイアピーター・バンクスザ・フーのファンでもあったため、その影響は分かりやすい形で音に現れている。 更にビル・ブラッフォードを筆頭に、トニー・ケイ、バンクスが傾倒していたジャズの要素も少なくない。

そして、当時ジョン・アンダーソンが気に入っていたコーラス・グループのフィフス・ディメンション、スクワイアが少年時代に参加していた聖歌隊、2人が共に好きだったというサイモン&ガーファンクルという趣向 / 経験で意見が合致した「強力なコーラス・ワーク」は、結成当初から現在に至るまで一貫してイエス・サウンドの要であり、最初期の音でそれは既に確立されている。

ちなみに「時間と言葉」ではオーケストラと共演しているが、バンド演奏とのバランスがあまり良くなく、成功とは言い難い。

[編集] 黄金期

スティーヴ・ハウが加わった「サード・アルバム - The Yes Album(1971年)」、リック・ウェイクマンが加わった「こわれもの - Fragile(1972年)」、続く「危機 - Close to the Edge(1972年)」がイエスのピークと言われている。 結成当初にアンダーソンとスクワイアが唱えていた「強力なヴォーカルとインストゥルメンタルの融合」で、未完の部分だった演奏面の強化は、このようなメンバー・チェンジによって遂行された。 ハウはロックのイデオロギーにとらわれない多彩なギター・プレイと優れた作曲能力を提供し、ウェイクマンは正式な音楽教育に根ざした理論と数多のセッションで培った確かな技術、最新のテクノロジー、それに派手なプレイと振る舞いでエンターテインメント性をバンドにもたらした。

サード・アルバム 」は、前2作での緩やかな変化とは明らかに違う急速な進歩が一聴して分かる。全てがオリジナル曲、10分近い大作、組曲形式。変拍子や対位法も盛り込まれ、プログレッシヴと呼ばれる要素が詰まっている。しかし決して難解ではなく、ポップでダイナミック、そして分かりやすい。 前作「時間と言葉」でエンジニアとして関わり、後々までイエスのスタジオ・ワークおよびステージの音響でも重要な働きをする事になるエディ・オフォードが、バンドとの共同プロデューサーとして参加したのも、変化をもたらした大きな要素の一つだろう。

こわれもの」はいくつかの優れたアンサンブルとメンバーのソロ小品で構成され、メンバー個々の多彩な音楽性と、それが融合したときの素晴らしさを堪能できる。バンド演奏はより洗練され、緩急織り交ぜた鮮やかなコントラスト、綿密に練られたアレンジ、新メンバー2人が奏でる印象的な旋律、より強力になったコーラスなど、多くの聞き所がある。また、アート・ワークに初めてロジャー・ディーンが起用された作品でもある。

危機」は全3曲というトータル・コンセプト・アルバムで、比類なき音楽性の高さと、緊張感に満ちた演奏が聴ける。 曲作りの舵を取ったのはアンダーソン / ハウで、他のメンバーも全員、作詞 / 曲 / アレンジに深く関わっている。 また、エディ・オフォードのテープ編集技術が多大な貢献をした。 このレコーディング直後にブラッフォードはキング・クリムゾンに移籍し、ジョン・レノンのプラスティック・オノ・バンドなどで活躍していたアラン・ホワイトが加入する。 翌'73年にリリースされた3枚組ライヴ盤「イエスソングス - Yessongs」(ドラムの殆どはホワイト)で、イエス黄金期は締めくくられる。

こわれもの」「危機」の2作はイエスの最高傑作と評されている。この時期のメンバー、アンダーソン、スクワイア、ブラッフォード、ハウ、ウェイクマンの5人は30余年に及ぶイエスの歴史の中でも「最強のラインナップ」として語り継がれている。そして旧メンバーが再加入する事が多々ある現在までの活動の中でも、この5人のみで再集結した事は一度もない。

[編集] 中期

イエス単体で見た場合にはライヴ動員数も膨れ上がり、音楽スタイルも自由に追求できた興味深い時期だが、ロック史に於ける重要度という点では軽んじられるのが'73年以降の活動である。それは、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロックというカテゴリー全体が衰退していった時期ともシンクロする。この頃の作品は黄金期のそれと同等に、またはそれ以上に評価する声もあるが、金字塔として不動の評価を得ている「危機」などと違い、ファンの間でも賛否両論がつきまとっているのも事実である。

海洋地形学の物語 - Tales from Topographic Oceans(1973年)」は、'73年の初来日公演中に読んでいたヒンドゥー教僧侶の著書からインスパイアされたアンダーソンが、そのアイデアに賛同したハウと創り上げた叙情詩である。大作指向はエスカレートし、2枚組で全4曲という構成だ。良いメロディが多くちりばめられ、各楽器のソロパートも充実してはいるが、「忍耐を要する」「散漫」という批評もある。

この作品のコンセプトや出来そのものに不満を感じたウェイクマンは、他メンバーとのライフ・スタイルの違いからくるストレスや、自身のソロ活動の成功もあって脱退してしまう。

リレイヤー - Relayer(1974年)」は、「戦争と平和」(トルストイの著書とは無関係)をテーマにアルバム構成を「危機」のスタイルに戻し、非常にテンションの高い演奏を繰り広げている。新たに加わったスイス人キーボーディスト、パトリック・モラーツは、ジャズフュージョンラテン音楽の要素を多く持ち込み、ウェイクマン在籍時とはかなり趣の異なる音楽性を導き出した。

この時期は'76年まで続く精力的な公演、メンバー全員がソロ・アルバム発表、最初期の音楽性を知らしめるベスト・アルバム「イエスタデイズ - Yesterdays(1975年)」発表と、脂の乗った活動を見せた。

モラーツの参加前、映画音楽家としても大成するギリシャ人のヴァンゲリスがウェイクマン後任候補として挙っていたが、英国のアーティスト・ユニオンの問題などで実現しなかった。この時の接触はアンダーソンとのコラボレート「ジョン・アンド・ヴァンゲリス」として、後に実を結ぶ事となる。

[編集] 後期

パンクニュー・ウェイヴが台頭した'70年代後半は、それまで主流を占めていたバンドには厳しい時代となった。イエスも例外ではなく、変化への意欲、試行錯誤が見て取れるのが'77年以降の活動である。ジャケット・アートを幻想絵画ロジャー・ディーンから、シュールフォトコラージュヒプノシスへ切り替えたところにも、彼らの意志が現れている。プロデュースもエディ・オフォードの手を放れ、バンド自身のみで行うようになった。

究極 - Going for the One(1977年)」は、イエスのスタイルでもタイトでストレートなロックは出来ると証明するかのような部分、本来のイエスらしさを良い形で凝縮した部分がバランスよく配置された、後期の佳作と言える。アンダーソンがイエスの最高傑作と言って憚らない「悟りの境地」、トップ10ヒットとなった「不思議なお話を」など、どの作品もクオリティが高い。アンダーソン/ハウ色が濃い楽曲群の中で、スクワイア1人のペンによる「パラレルは宝」は、彼が最初期から作曲家としても大きく貢献してきた事を再認識させるような力強さがある。

当初は「リレイヤー」のラインナップで、モラーツの故郷スイスで始められたアルバム制作のリハーサルだが、音楽性の相違や諸々の問題が表面化してモラーツが脱退、旧友のウェイクマンがセッション・マンとして招かれた。ただの助っ人とは思えない存在感溢れる演奏を披露したウェイクマンは、結局正式メンバーとして復帰し、レコーディングもそのままスイスで遂行された。教会のパイプ・オルガンのウェイクマンと、スタジオのメンバー達とを電話回線で同期しレコーディング、という試みも行われた。

トーマト - Tormato(1978年)」は、楽曲のコンパクト化をより推し進め、歌詞のテーマも身近で手軽なものを多く取り上げた作品となった。 ただ、前回はうまくいったセルフ・プロデュースが今回は裏目に出て、アレンジやミキシングでメンバー同士が相当に揉めたらしく、そういった結果なりの作品となっている。しかし曲ひとつひとつは素材として優れているので、状況や仕上がり次第では違った結果を導き出せたかもしれないと、つい思わせるような作品でもある。

'78年はイエス結成10周年でもあり、回転する円形ステージのライヴもこの頃に始めている。

[編集] 解散

ツアー終了後にパリで始めた新作のリハーサルが結果を残せぬまま頓挫してしまい、バンドの結束はかつてないほど弱まってしまった。結果として中心人物のアンダーソンとウェイクマンが脱退し、同じマネージメントに所属し、デビュー作「ラジオ・スターの悲劇 - The Age of Plastic(1979年)」を大ヒットさせていたエレクトロ・ポップ・デュオ、バグルスをまるごと吸収する事でイエスは蘇生したかに見えた。

新たな時代を生き抜くために、ニュー・ウェイヴそのものを呑み込んで完成させたアルバム「ドラマ - Drama(1980年)」は、ハウ、スクワイア、ホワイトのプレイも久しぶりにパワフルで、バグルズのトレヴァー・ホーンジェフ・ダウンズの才能も存分に発揮された作品である。発表当時から長年の間、イエスの象徴と言えるアンダーソンの不在が大きなダメージとなって不遇な扱いを受けていたが、現在はまずまずの評価を得ている。

アメリカでは好評を博した新ラインナップでのツアーも、ヨーロッパに戻ってくると惨憺たるものとなってしまい(というのは演奏の質ではなく、コアなオーディエンスの、バグルズへの拒否反応が酷かったようだ)、ツアーを終えると遂にイエスは解散してしまう。

解散への経緯は諸説ある。ハウによると、スクワイアとホワイトはジミー・ペイジとセッションを始め(XYZ = ex Yes Zeppelin : 元イエスと元レッド・ツェッペリンの意)、ホーンはバグルズの新作とプロデュース業に戻り、最後に残ったのは彼とダウンズだけだった。ハウはイエスの再編も考えたが当時のマネージャー、ブライアン・レーンの助言もあってイエスを諦め、新バンド、エイジア結成へシフトした、という事だ。一方でスクワイア、ホワイトは全く逆で、エイジアに行ってしまった、という意味あいの発言をし、ホワイトに至ってはイエスは解散していない、とまで言っている。

いずれにしてもバンドが分裂した時にバグルズを吸収させたのも、エイジアを画策したのも、'70年代末すでにトレヴァー・ラビンというギタリストをスクワイア達に薦め、新生イエスの母体となるシネマ結成のきっかけをお膳立てしたのもブライアン・レーンの手腕によるところが大きく、彼はイエスの面々にとっては混乱の種のようでいて、しかし結果的には更なる成功へと導いた立役者、と言えるかもしれない。

[編集] 解散後

最後のメンバー達の解散後の動きには、興味深いものがいくつかある。

トレヴァー・ホーンバグルスの2作目「モダン・レコーディングの冒険 - Adventures in Modern Recording(1981年)」に着手した。この作品にはクリス・スクワイアがサウンド・エフェクトなるクレジットで1曲にゲスト参加している。また「ドラマ」に提供した「レンズの中へ」を、バグルズ版にリ・アレンジした「アイ・アム・ア・カメラ」も収録されている。ホーンのソロ・プロジェクト色が強い作品だが、ジェフ・ダウンズエイジアに参加するまでの短期間、手伝っている。商業的成功は前作に全く及ばず、日本では当時リリースすらされなかったが、クオリティは格段に上がっており、以後プロデューサーとして名声を得るホーンが、ミュージシャン/アーティストとして活動した最後の作品という意味でも重要な1枚である(アート・オブ・ノイズも彼のユニットとして見る事ができるが)。

クリス・スクワイア / アラン・ホワイトは、2人の名義でクリスマス・ソング「ラン・ウィズ・ザ・フォックス(1981年)」をリリースしている。 スクワイアがリード・ヴォーカルのこの曲は、ピート・シンフィールド(作詞家、初期キング・クリムゾンのメンバーとしても知られている)との共作である。

新プロジェクトをいち早く成功させていたのはスティーヴ・ハウジェフリー・ダウンズエイジアである。ジョン・ウェットン(元キング・クリムゾンU.K.他)、カール・パーマー(元EL&P)とブライアン・レーンの元に集結し、ロジャー・ディーンにジャケットを描かせたところを見ても、(少なくともレーンとハウは)このプロジェクトをイエスを継承するものと位置づけていたのだろう。しかしデビュー作『詠時感~時へのロマン』(1982年)は、かつてのイエスの成功を遥かに上回り、全米8週連続1位、全世界で1500万枚を売り上げる空前のヒットとなった。彼らは多くのポップス・ファンに歓迎される一方で、「産業ロック」と揶揄される事も少なくなかった。

[編集] 再結成

ジミー・ペイジとのXYZが暗礁に乗り上げたクリス・スクワイアアラン・ホワイトは、南アフリカ出身のマルチ・プレイヤー、トレヴァー・ラビンとシネマを結成した。ここに至るまでに、ラビンはデモ・テープを様々なレコード会社に送りつけており、一時はエイジアに参加する可能性もあったという。スクワイアはオリジナル・メンバーのトニー・ケイをシネマに参加させたが、ケイは相変わらず新しいテクノロジーに関心が薄く、またラビンがキーボード類にも明るかった事や、プロデュースに回ったトレヴァー・ホーンサンプラーなどの最新技術をふんだんに取り入れていた事もあって、一時脱退してしまう。そのような経緯でエディ・ジョブソン(フランク・ザッパロキシー・ミュージック、U.K.他)が短期間参加というエピソードも残っている(再結成第1弾シングル「ロンリー・ハート - Owner of a Lonely Heart」のプロモーション・ビデオでジョブソンの姿を確認できる)。

シネマとしてのデビュー作が完成というところで、ホーンやレーベル関係者の助言があり、スクワイアはジョン・アンダーソンに参加を要請、ケイも結局復帰し、'83年シネマはイエスとなった。

こうして完成した「ロンリー・ハート - 90125(1983年)」は、ホーンとラビンの作品と言っても過言ではないかもしれない。ハード・ロックとダンス・ミュージックに重厚なコーラス、スパイスとして変拍子を少し。硬質で洗練されたサウンドの全く新しいこの作品を、イエスたらしめている要素もしっかりと息づいている。それはスクワイアの強烈なベースと印象的なバック・コーラス、そしてアンダーソンのヴォーカルだ。シネマとしてほぼ完成していただけに、ラビンがリード・ヴォーカルを取るパートも多いが、それでもアンダーソンとスクワイアの声があればイエスになる、と証明した作品とも言えるだろう。 上述のシングルはアメリカをはじめ多くの国で1位を獲得し、イエスは再結成によって最大の成功を手にした。

3年強のブランクを経て「ビッグ・ジェネレイター - Big Generator(1987年)」をリリース。レコーディングは難航し、イタリアアメリカにスタジオを移動して完成させた。その途中でホーンはプロデュースを降り、ラビンがその後を担った。前作以上にラビンのイニシアティヴがより全面に行き渡り、ヒットチャートを意識したコマーシャルな内容となっている。

この頃はロサンジェルスに拠点を置き、ブリティッシュ・バンド然とした印象もかなり薄れていた。発表作品は2枚のみであり実質活動期間も長くはないが、イエスとしては珍しく5年もの間メンバー・チェンジなしにバンドを運営しえた。しかしそれは、メンバーの結びつきがビジネス・ライクに徹した期間だったからであり、特にジョン・アンダーソンにとっては、イエスよりもヴァンゲリスとの絆の方が強かったと思われる。

[編集] 分裂

1988年、日本公演を含むビッグ・ジェネレイター・ツアーが終了すると、コマーシャルなイエスに嫌気が差したジョン・アンダーソンは、バンドから離れて新たな活動を始めた。旧友のスティーヴ・ハウビル・ブラッフォードリック・ウェイクマンを呼び、「もう一つのイエス」アンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウ(以下ABWH)を結成してしまった。当初、呼ばれた側はソロ・アルバムを手伝う程度の気軽さでいたようで、残された側も彼が脱退してこのような活動を始めた事にしばらく気付かず、アンダーソン以外は双方とも事態の大きさを把握していなかったようだ。

アンダーソンはトレヴァー・ラビン主導のイエスに、自分が表現者として存在する場がないと感じ、一方のラビンも自分の新たなバンドであった筈の「シネマ」がイエスと呼ばれる事に少なからず反感を抱いていた節があり、イエスとして再結成したのは、長年のファンにとってだけでなく、内部の人間にとっても不自然なのは確かであった。その結果として起きた分裂騒動は裁判沙汰にまで発展してしまったが、いずれこうなる事は避けられなかったのかもしれない。

閃光 - Anderson Bruford Wakeman Howe(1989年)」は上述の騒動と、黄金期メンバーの4/5が揃った事で大きな話題を呼んだ。ABWHの本領はライヴにあった。イエスとの係争で下された審判により、ABWHはイエスを想起させる事柄でプロモーションする事を許されなかった訳だが、彼らはツアー・タイトルを堂々と「イエス・ミュージックの夜 - An Evening of Yes Music Plus」と銘打ち、ラビンの時代には封印されていたり、異なるアプローチで演奏されていた'70年代の曲群を惜しげもなく披露した。このラインナップでの再集結は、リアルタイムで体験できなかった新しいファンにも大いに喜ばれ、特にブラッフォードの参加は様々な意味で歓迎された。まず、彼が在籍していた時期の記録作品が殆ど残っておらず(当時はイエスソングスに収録されている3曲のみだった)、彼がイエスを脱退したのは「危機」レコーディング直後だったため、彼のドラムで「危機」の曲目がライヴ演奏されたのはこれが初めてだった。更には、ブラッフォードがベーシストにトニー・レヴィンを連れてきたので(スタジオ作品にも全面参加)、キング・クリムゾンのリズム・セクションで聴けるイエスとなっていたのだ。好みは別れるだろうが、様々な音色をインプットしたエレクトロニック・ドラムを縦横無尽に操るブラッフォードと、スティックを駆使するレヴィンが繰り出す演奏は、予定調和になりかねない往年の名曲をタイトに引き締めた。クリス・スクワイアの不在を残念がる声も多かったが、それとは別の意味で意義深い人選だったといえる。

レヴィンも含め、マット・クリフォード(key)、ミルトン・マクドナルト(g)といったサポートメンバーがいた事や、アンダーソンはヴァンゲリスと、ハウはジェフ・ダウンズ、マックス・ベーコンと(エイジア、GTR時代に)共作したマテリアルを持ち寄り新曲として仕上げた事を見ても、ABWHは純粋にイエスとは言えない部分があったが、それは逆に彼らが単なる懐古趣味で集まったのではなく、オープンで前向きな意欲を持って集ったという事の表れだろう。
余談だがABWHのライヴ作品「イエス・ミュージックの夜」は、CD / 映像ともにレヴィンの代役としてジェフ・バーリンが参加した時のものが使われている。

一方、本家イエスの方はワールド・トレイドのビリー・シャーウッドを加えて新たな活動を模索していた。その成果は4枚組ボックス「イエス・イヤーズ - Yesyears(1991年)に収録された「ラヴ・コンクァーズ・オール - Love Conquers All」1曲のみで、シャーウッドは1997年の「オープン・ユア・アイズ - Open Your Eyes」で正式参加するまで、自身のバンドとイエスのサポートを並行させた。

[編集] 統合〜収束

アルバム / シングルのヒットと、ツアーの好評を受けて、ABWHはセカンド・アルバム「ダイアログ - Dialogue(未発表)」のレコーディングに入った。しかしジョン・アンダーソンは曲が揃わないという理由で、事もあろうか誰もが彼のイエス脱退の原因と考えていたトレヴァー・ラビンに曲提供を依頼した。ラビンはいぶかしながらも既に出来ていた曲のいくつかをアンダーソンに渡した。ABWHは実際には曲作りに困っていた事もなく、アンダーソンが抱いていた「よりイエスらしい自分たちがイエスと名乗れないフラストレーション」の為にラビンに接触した、というのが実情だろう。そうして2つのグループは接近し、ABWHの曲にクリス・スクワイアがコーラスとして参加、ラビン達の曲にアンダーソンが歌を入れ、イエスとしてのアルバムを完成させた。

結晶 - Union(1991年)」は正式メンバー8名、トニー・レヴィン、ビリー・シャーウッドら多くのサポートもあって完成した訳だが、ABWHのアルバムにイエスの曲を付け足しただけの、メンバーの大半が未だに嫌うような作品になってしまった。このような構成では当然アルバムの一貫性は失われ、クォリティはおざなりにイベント性だけが大きくクローズアップされる事となった。

ジュール・ベルヌの小説「80日間世界一周」をタイトルにしたツアーは、8人の歴代メンバーで敢行され、世界各地で大いに盛り上がった。衝突を起こしたばかりの2組が同じステージに上がる事自体が不可解ではあったが、メンバー達はビジネスとして割り切り、一度きりのショウとして楽しんだようだ。

来日公演直前、ビル・ブラッフォード脱退という報道がなされ、宣伝写真からも彼の姿が消えた事があったが、なんとかその危機も乗り越え1人の欠員もなくツアーを終えた。 皮肉な事にその後イエスに残ったのは、アンダーソンが見捨て「90125グループ」と見下して呼んでいたラインナップだった。ツアー中にラビンと親交を深めたリック・ウェイクマンもそのまま残るという情報だったが、スケジュールの関係で実現せず、ABWHは徒花として散っていった。

トーク - (1994年)」は、アンダーソンとラビンが10年以上を経て、やっと互いに理解を示す努力をし、作品として昇華させたアルバムだ。しかしそれは少しばかり遅すぎたようで、ラビンはこの作品を最後にイエスを脱退、映画音楽に活躍の場を見出していった。それと同時に、オリジナル・メンバーの一人トニー・ケイも脱退し、音楽活動から引退して側面からイエスをサポートしていくと表明した(が、現在イエスを離れセッション・ミュージシャンとして細々と活動している)。

[編集] 〜現在

8人ツアーで人気復調のピークを迎えたイエスだったが、それと同時に一連の騒動に嫌気が差したのはメンバーを含めた関係者だけでなく、多くのファンも同じ思いであった。 傑作と前評判の高かった「トーク」も、既にメイン・ストリームで闘えるだけのものを失っていた。この時のメンバー構成(アンダーソン、スクワイア、ケイ、ホワイト、ラビン)を進言したのは新たに所属したヴィクトリー・レーベルのフィル・カーソン(彼は以前アトランティック・レコードに所属し、イエスを初期からサポートしていた)だったのだが、その判断はABWHとユニオン・イエスの成功の理由を見誤っていたと思われる。その後ヴィクトリーを離れスティーヴ・ハウリック・ウェイクマンが復帰、黄金期復活と謳った「キーズ・トゥ・アセンション1996年)」、「キーズ・トゥ・アセンション21997年)」は、ライヴとスタジオ作品を混在させたプロジェクトで、スタジオ・テイクに往年の雰囲気が多少感じられるものの、修正を施されたライヴ・テイクはいまひとつの内容であった。

定石通り、アルバム発表後にツアーが予定されたが、マネージメントの変更を検討していためスケジュールがなかなか決まらず、当時マン島に在住していたウェイクマンがスケジュールを知ったのは、ソロ・ツアーのために渡米した3月であり、既にソロ活動のスケジュールが決められた後だった。ウェイクマンはそうしたことに嫌気が差し、スクワイアやハウの引き止めもむなしく脱退してしまう。5月に入り、ウェイクマン脱退が正式に発表され、ツアーはキャンセルとなった。

後釜のキーボード・プレイヤーを探していたイエスは、自ら売り込みにやって来たロシア出身のイゴール・コロシェフを、オーデションの末採用した。そして再度組まれた10月からのツアーに合わせて、クリス・スクワイアのソロ・プロジェクトが急遽イエスとして制作される事となり、正式メンバーとなったビリー・シャーウッドが最終ミックスダウンを行った「オープン・ユア・アイズ(1997年)」を完成させた。この作品は、「ロンリー・ハート」時のような衝撃こそないものの、「キーズ・トゥ・アセンション1、2」で感じられる、姿勢としての衰えを払拭するには充分な活力がある。とはいえ、元々がスクワイアとシャーウッドのプロジェクトであったため、イエスとして出した事に疑問を投げかける声もある。

イエスとしての本領を発揮したのは、次作、名プロデューサー、ブルース・フェアバーンの遺作となった「ラダー1999年)」であろう。70年代のイディオムである20分強の構築された曲をフルに演奏して絶頂へと導くのではなく、全11曲の小作品をドラマチックに配置するスタイルのトータル・アルバムとなっている。

イエス恒例の人事異動というべきか、その後若手2人が脱退することになる。ビリー・シャーウッドは自分の活動に専念するためで、かねてからの計画であり、円満脱退と伝えられる。一方イゴール・コロシェフの脱退は、公式見解はなかったものの、ツアー中に二名の女性警備員へ暴行事件(実際にはキスを迫ったり、首筋を噛んだりといったセクハラ的行為)を起こしたことによる解雇である。コロシェフの脱退はHPにおいてもしばらく伝えられなかったことからも、イエスにとって忌避すべき事件であったのだろう。ただ、コロシェフの名誉のために付け加えれば、本件は当事者間の和解が成立し、不起訴(無罪)処分となったことを記しておく。

キーボード不在を好機と捉えたイエスは、以前から暖めていた企画であるオーケストラとの競演を柱とした作品「マグニフィケイション2001年)」を発表する。オーケストラ・サウンドのミックスと味付けはゴージャスだが、基本的にはわかり易いポピュラーな作品で、アンダーソンとスクワイアの音楽的嗜好のルーツであるアメリカンポップスやビートルズの曲想を感じさせる好作に仕上がっている。

マグニフィケイション・ツアーを終えたイエスは、ウェイクマンの復帰を発表した。実に4回目の復帰劇である。真偽は不明だが一説によると、曲作りには参加しないツアーのみの契約であるといわれている。その後イエスは、2002年のクラシック・ツアー、2003年のフルサークル・ツアー、2004年の35周年記念ツアーと大規模なツアーを行うものの、スタジオ・レコーディングの新作を出していない。

2005年「今年はツアーをやりたくない」というアンダーソンの意向を受けて、イエスはグループとしての活動を停止し、ソロ活動を始めた。雑誌のインタビューによるホワイトの発言によると、2006年春には活動を再開する予定とのことであったが、2006年10月現在、動きはない。

[編集] 歴代メンバー

[編集] ディスコグラフィ

[編集] スタジオ・アルバム

発表年 タイトル(邦題) タイトル(原題) 最高順位(UK) 最高順位(US)
1969年 イエス・ファースト・アルバム Yes - -
1970年 時間と言葉 Time And Word 45 -
1971年 サード・アルバム The Yes Album 7 40
1972年 こわれもの Fragile 7 4
1972年 危機 Close To The Edge 4 3
1973年 海洋地形学の物語 Tales From Topographic Oceans 1 6
1974年 リレイヤー Relayer 4 5
1977年 究極 Going For The One 1 8
1978年 トーマト Tormato 8 10
1980年 ドラマ Drama 2 18
1983年 ロンリー・ハート 90125 16 5
1987年 ビッグ・ジェネレイター Big Generator 17 15
1991年 結晶 Union 7 15
1994年 トーク Talk 20 33
1996年 キーズ・トゥ・アセンション Keys To Ascention 48 99
1997年 キーズ・トゥ・アセンション2 Keys To Ascention 2 62 -
1997年 オープン・ユア・アイズ Open Your Eyes - 151
1999年 ラダー The Ladder 36 99
2001年 マグニフィケイション Magnification 71 186

[編集] ライヴ・アルバム

発表年 タイトル(邦題) タイトル(原題) 最高順位(UK) 最高順位(US)
1973年 イエスソングス Yessongs 7 12
1980年 イエスショウズ Yesshows 22 43
1985年 9012ライヴ 9012 Live : The Solos 44 81
1993年 イエス・ミュージックの夜 An Evening Of Yes Music Plus - -
1997年 BBCセッション1969-1970 サムシングズ・カミング Yes BBC Sessions 1969-1970 Something's Coming - -
2000年 ハウス・オブ・イエス House Of Yes 36 99
2005年 ライヴ・イヤーズ The Word Is Live - -

[編集] コンピレーション

発表年 タイトル(邦題) タイトル(原題) 最高順位(UK) 最高順位(US)
1975年 イエスタデイズ Yesterdays 27 17
1981年 クラシック・イエス Classic Yes - 142
1991年 イエス・イヤーズ Yesyears - -
1992年 イエス・ストーリー Yesstory - -
1993年 ベリー・ベスト・オブ・イエス The Very Best Of Yes - -
2002年 ヒストリー・ボックス In A Word - -
2003年 アルティメット・イエス The Ultimate Yes 10 131
2004年 (Re)Union (Re)Union - -

[編集] その他

  • 1993 シンフォニック・イエス - Symphonic Music of Yes(Prd.アラン・パーソンズ/演奏.ロンドン・フィル、アンダーソン、ハウ、ブラッフォード)
  • 1995 イエス・トリビュート - V.A./Tales from Yesterday(バンクス、ハウ、モラーツ参加)
  • 1998 イエス・フレンズ&レラティヴズ - Yes,Friends & Relatives
  • 2001 イエス・フレンズ&レラティヴズ2 - Yes,Friends & Relatives Vol.2
  • 2003 イエス・リミックス - Yes Remixes(リミックス/ザ・ヴァージ)

[編集] ビデオソフト

  • ベスト・オブ・ミュージック・ラーデン・ライヴ (1969/1971年のテレビ出演ビデオ)
  • イエスソングス (1972年のライブ)
  • ライブ 1975 (1975年のライブ・当初は1タイトル。その後Vol.1とVol.2に分割)
  • ライブ・イン・フィラデルフィア (1979年のライブ)
  • 9012ライブ (1984年9月のライブ)
  • イエス・ミュージックの夜 (ABWH名義・1989年のライブ)
  • イン・ザ・ビッグ・ドリーム (ABWH名義・インタビューとビデオ・クリップとライブ)
  • イエスショウズ91 (1991年8月8日のライブ)
  • イエスイヤーズ (1991年発売のドキュメントビデオ)
  • 暦 (1991年発売のビデオ・クリップとインタビュー)
  • キーズ・トゥ・アセンション Vol.1 / Vol.2 (1996年のライブ)
  • ハウス・オブ・イエス (1999年10月のライブ)
  • シンフォニック・ライブ (2001年11月のライブ)
  • Yes Acoustic (2004年1月20日のライブ)
  • イエススピーク (2004年発売の35周年記念ドキュメントビデオ)

ソフトの発売時期によって、テープ/LDDVD等、収録メディアに差異がある。

[編集] 関連アーティスト/バンド

[編集] 直接的な関連

  • GTR (エイジアの後、スティーヴ・ハウが結成に参加)
  • U.K. (ビル・ブラッフォードが結成に参加)
  • XYZ、シネマ(80'sイエスの前身)
  • アンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウ (イエスの別動バンド)
  • ヴァンゲリス(ジョン・アンダーソンが「天国と地獄」にゲスト参加)
  • エイジア (スティーヴ・ハウとジェフ・ダウンズが結成に参加)
  • キング・クリムゾン (ジョン・アンダーソンが「リザード」にゲスト参加/ビル・ブラッフォードが移籍)
  • ジョン・アンド・ヴァンゲリス(1979年以降のジョン・アンダーソン参加ユニット)
  • ストロウブス (リック・ウェイクマンの移籍元)
  • デビッド・ボウイ (大学時代のリック・ウェイクマンがセッション参加)
  • バグルズ (トレヴァー・ホーンとジェフ・ダウンズの移籍元)
  • バジャー (トニー・ケイが最初に脱退した直後に結成したバンド)
  • プラスティック・オノ・バンド (セッション・マン時代のアラン・ホワイトがツアーに参加)
  • フラッシュ (脱退後のピーター・バンクスが結成したバンド)
  • T・レックス (大学時代のリック・ウェイクマンがセッション参加)
  • ムーディー・ブルース (脱退後のパトリック・モラーツが一時在籍)
  • ラビット (トレヴァー・ラビンが地元の南アフリカで在籍)
  • リフュジー (パトリック・モラーツの移籍元)
  • ワールド・トレイド (ビリー・シャーウッドが元在籍)

[編集] 間接的な関連

[編集] リスペクト(イエスのメンバーから他のアーティストに対して)

  • エディ・コクラン (ジョン・アンダーソンがアマチュア時代にレパートリーにしていた)
  • エルビス・プレスリー (スティーブ・ハウが影響をうけたと告白)
  • クリフ・リチャードとザ・シャドウス (トレヴァー・ラビンが子供時代に好んで聴いていた)
  • カウント・ベイシー (トニーケイがアマチュア時代にレパートリーにしていた)
  • クロスビー・スティルス&ナッシュ(&ヤング)(初期のイエス作品に影響が見られる)
  • ジャック・ブルース (クリス・スクワイアが影響をうけたと告白)
  • スコッティ・ムーア (ビル・ブラッフォードが影響をうけたと告白)
  • セロニアス・モンク (ビル・ブラッフォードがアマチュア時代にレパートリーにしていた)
  • デューク・エリントン (トニーケイがアマチュア時代にレパートリーにしていた)
  • ザ・ナイス (イエス結成前にジョン・アンダーソンが加入を志願)
  • ザ・フー (クリス・スクワイアとピーター・バンクスが、ファンであると告白)
  • ビル・ヘイリー (スティーヴ・ハウがロックに目覚めたきっかけと告白)
  • ロニー・ドネガン (ジョン・アンダーソンがロック(スキッフル)に目覚めたきっかけと告白)

[編集] リスペクト(他のアーティストからイエスに対して)

  • グラス・ハマー (中心メンバーがイエス・ファン。最新作で念願がかなってロジャー・ディーンにジャケットを描いて貰った。)
  • ドリーム・シアター(影響を受けている。またスティーヴ・ハウとの共演及びYesツアーに同行したことがある)
  • スター・キャッスル (サウンドにイエスの影響があると言われている)

[編集] 参考書籍

  • ティム・モーズ著「イエス・ストーリー 〜 形而上学の物語(原題:YesStories)」
  • クリス・ウェルチ著「ザ・ストーリー・オブ・イエス (原題:Close to the Edge〜The Story of Yes)」
  • 監修:片山 仲「イエス・ファイル」
  • 「ストレンジ・デイズ」2005年8月号

[編集] 外部リンク

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