マツダ・カペラ
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カペラ (Capella) はかつてマツダで生産されていた乗用車である。世代についてはマツダ公式サイトのHISTORY OF MAZDAを元にしている。書籍によっては記述が異なる場合もある。
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[編集] 歴史
[編集] 初代(SNA・S122A系 1970-1974年)
初代カペラは、1970年5月に登場した。当初は、ファミリアの上位機種として、12Aロータリーエンジンを搭載するモデルと、1600ccレシプロエンジンを搭載するモデルがあった。エンジンは、カペラロータリーのために開発された12Aロータリーエンジンが搭載されていた。基本的には10A型と同じだったが、ローターハウジングの厚みを10mm増して単室容積で573ccの排気量を得た。また、排気孔をハニカムポートとして燃焼効率を上げトルク特性を改善した。最高出カ120ps/6500rpm(グロス)、最大トルク16.0kgm/3500fpm(グロス)、最高速度190Km、さらに0→400m=15.7秒(MT車)で、当時の日本車としては、並はずれたパワーを誇った。そのエンジンパワーを生かし、レースにも出場。当時無敵を誇ったスカイラインGT-Rに挑んだが、及ばず、打倒GT-Rは、サバンナまで待つ必要があった。
タイヤは13インチと一回り小さいサイズを採用。一クラス上のマークIIに匹敵する車内空間を誇った。愛称は風のカペラと呼ばれ、当時としては圧倒的な加速力で、ノーマル状態で勝てるのはポルシェだけと言われた。
1970年10月、レシプロエンジンに1500㏄が追加される。
1971年10月、マイナーチェンジ。デビューしたサバンナとの差別化を図るためにGシリーズとして、4灯ヘッドライトを採用。ロータリー車に初のATであるREマチック仕様が登場した。ロータリーに合わせた特性で、0→400m=17.5秒だった。
1971年から1973年までがカペラを含めたロータリー全盛期で、1971年は63389台、1972年は57748台、1973年は54962台販売された。
[編集] 2代目(CB125系 1974-1978年)
1974年2月に「ビッグチェンジ」としてフェイスリフトを受け、2代目カペラロータリーAPとなった。初代と基本的なボディ形状は変わらなかったが、フロントマスクが変更され、フロントノーズも110mm延長された。またインパネも4連丸形メーターの新デザインに変更された。レシプロエンジン1800㏄、そして1975年の排ガス規制に適応したロータリーAP、レシプロエンジン1800APが追加された。1975年10月に1600㏄、1800㏄、ロータリー共に1976年の排ガス規制に適応した。低公害車であったが、サーマルリアクター方式を採用し、当時の他の車両と比べて性能低下は少なく、また有鉛・無鉛ガソリンの両方を使用する事が出来た。
1970年から1978年までの、初代と2代目のカペラロータリー累計販売台数は225003台販売した。
マツダ公式サイトHISTORY OF MAZDAでは、フェイスリフト後のカペラロータリーAPを2代目にしている(参考)。また二玄社発行の別冊CG自動車アーカイヴVol.5 70年代の日本車篇(ISBN 4544091756)等では、このモデルを初代後期とし、CB系を2代目として以降1世代ずつずれているので、それも追記する。
[編集] 3代目(CB系 1978-1982年)
1978年10月に、マツダの他の主力車種ファミリア、ルーチェ、サバンナRX-7に遅れる形で、初代登場から8年5ヶ月ぶりにフルモデルチェンジを行い3代目カペラになった(カペラAPが2代目の為)。3代目よりロータリー車は設定されずにレシプロ専用車種として登場、ファミリーカーに生まれ変わった。
ボディタイプは従来からの4ドアセダンに加え、2ドアハードトップを設定した。先代に設定されていた2ドアクーペは設定されなかった。空気抵抗は当時の車種としては良く、ハードトップはCd値=0.38だった。また、同クラスの車種と比べて車内の居住空間及びトランクスペースは大きい方だった。
エンジンは発売当初は1600㏄と1800㏄の2タイプが用意され、1979年3月に2000㏄車が追加された。
販売当初はグリル部が飛び出るデザインだったが、1980年9月のマイナーチェンジでフロント部分の大幅変更を受けて、ランプ部とグリルが同一面のデザインになった。
[編集] 4代目(GC系 1982-1987年)
1982年9月登場。駆動方式をFFに変更する。エンジンは新開発の1600、1800、2000EGIで「マグナム」の名称が与えられた。ボディは4ドアセダンと初代以来となる2ドアクーペ、後のマイナーチェンジで追加される5ドアハッチバックの3タイプ。又、この代からフォードブランドの姉妹車であるフォード・テルスターが登場。 CMにはアラン・ドロンが出演。キャッチコピーは「たまらなく、テイスティ。」CM曲は初期は布施明の「たまらなく、テイスティ」。その後、グリーグのピアノ協奏曲第1番の冒頭部、バッハの「トッカータとフーガ」(後に日産・スカイラインのCMでも使用)、 「ピーターと狼」が使用された。
1983年9月、セダンに2000㏄のディーゼル車が追加される。
1983年10月、グロス145psの2000EGIターボモデルを追加、ターボ車はヘッドライトが角型4灯となり、他のグレードと差別化された。
1985年5月、マイナーチェンジ。テルスターに採用されていた5ドアハッチバックが追加される。
- この4代目GC系は、'82-'83 日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞している。また、韓国の起亜自動車ではこれをベースにしたモデル、コンコード (en:Kia Concord) を87年~95年にかけて生産したことがある。
[編集] 5代目(GD,GV系 1987-1994年)
1987年5月登場。タクシー仕様は5代目が最終となった(後継はカスタムキャブ)。 キャッチコピーは「ベーシック & アドバンス」。ボディタイプは4ドアセダンと5ドアハッチバックのカペラCG、2ドアクーペのカペラC2。遅れてステーションワゴンのカペラカーゴが追加された。 世界初の電子制御車速感応型4WSや量産エンジン初のプレッシャーウエイブスーパーチャージャーディーゼルを搭載するなど、カペラの生産史上、最も華やかなモデルとなった。
1987年7月、カペラCGにセンターデフ方式フルタイム4WDが追加。
1988年2月、これまでカペラCGのみの採用であった4WSがセダン、C2にも設定拡大。
1988年3月、5ドアワゴンのカペラカーゴが追加。加えて商用車のカペラカーゴバンを販売。
1989年6月、マイナーチェンジ。これまでCGのみであった4WDをセダンにも設定。1800㏄にDOHCエンジンが追加。
1990年10月、カペラカーゴに2000㏄4WD車が追加。
1991年10月にはクロノスの登場でセダン、CG、C2は絶版となった。しかし、カーゴはレガシィに端を発するワゴン車ブームもあり継続して販売された。
1992年8月、カーゴがマイナーチェンジ。ディーゼルに4WDが追加。
[編集] 6代目(CG系 1994-1997年)
クロノスの登場でセダンは一旦製造中止されていたが、クロノス系の不振でユーノス500等のパーツを流用し、1994年8月にセダンが復活した。かつてのカペラとはほど遠いほどチープと酷評されたが、5ナンバーサイズに戻されたこと、車両本体価格が抑えられたことなどから、お買い得感は高く商品的にはそれなりの成功を収めた。ワゴンは先代のカーゴを大幅マイナーチェンジを行い「カペラワゴン」に改名し、1994年10月に販売された。6代目は事実上日本国内専用車だったが、香港などにも輸出された。
CMは萩原健一が出演し運転しながら「とってもセダン」と言う。ワゴンは萩原と共に当時、「チャイドル」として人気のあった前田愛も出演していた。
[編集] 7代目(GF,GW系 1997-2002年)
1997年8月にセダンが、追って10月にワゴンが最後のフルモデルチェンジ。
1998年7月、2000㏄クラス初となる直4SOHC16バルブ直噴ディーゼル車登場。
1999年11月、マイナーチェンジ。ディーゼル廃止、2000ccFF車にアクティブマチック搭載。
2002年にアテンザが後継モデルとして登場するまで販売が続けられた。
[編集] プラットフォーム
プラットフォームは、ベース車がFF化されて以降は主にマツダ・Gプラットフォームが採用されていた。クロノスの販売不調を受けて急遽復活した際、3ナンバー化したマツダ・Gプラットフォームに代わりマツダ・CGプラットフォームが採用されていた(期間は1994年から1996年)。