ボストン (バンド)
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ボストン(Boston)はアメリカのロック・バンド。実態はトム・ショルツによる作詞作曲、編曲、演奏、サウンド・エンジニアリング、総合プロデュースとレコーディング・プロセスの殆ど全てを行ったソロ・プロジェクトである。
レッド・ツェッペリンに代表されるイギリスのハードロックと、ジェネシスやEL&Pなどのプログレッシブ・ロックをアメリカ人ならではのセンスでポップに消化して[1]大成功を収め、1970年代後半から1980年代前半のアメリカン・ハードロック隆盛のきっかけを作った。また、メロディアスでキャッチーな作風から、アメリカン・プログレ・ハードや産業ロックと呼ばれることがある。
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[編集] 歴史
トム・ショルツ(Tom Scholtz、1947年3月10日生まれ)はアメリカ合衆国オハイオ州の出身。7歳からピアノを習い、マサチューセッツ工科大学在学中にギターを独学で覚える。大学卒業後はポラロイド社に就職しプロダクト・エンジニアとなった。仕事の傍ら、電気工学の知識を生かして自宅アパートに多重録音可能なスタジオを構築、そこで作り上げたデモ・テープがCBSレコードに認められ、デビューの運びとなる。このデモ・テープの完成度は異様な位高かった[2] ので、殆どショルツ独りで作ったという話をCBS側はにわかには信じず、後で「実は…」とバンドのメンバーが明かされるのではと期待していたと言われる[3]。このスタート時点で既に、ショルツ側とレーベル側の齟齬があったと(その後の事の成り行きを知っている現在からは)言える。デモテープを聞いたCBS側の担当者は「現存するあらゆる(ロック・ミュージック)作品の中で、最も素晴らしい作品である」と評価したと言われる。
アルバムの制作はショルツの完成度の高いデモ・テープの内容を、プロのスタジオのクオリティで忠実に再現することに費やされた。ブラッド・デルプのボーカル以外はほとんどすべての楽器をショルツ自身が演奏しており、バンドのメンバーはデビューにあたってライブ活動を行なうために集められた。当初はライブ活動の事は念頭に無かったショルツであるが、アルバムの発売に合わせてツアーを敢行することでプロモートとし、アルバムの売上を確実なものへとするのが当時のセオリーであったので、当然ツアーはするものと考えていたレーベルの強い勧めに従って急遽オーディションを行ったと言われている。
1976年、こうしてできあがったファースト・アルバム『幻想飛行』は、シングル・カットされた「宇宙の彼方へ(More Than A Feeling)」と共にヒット・チャートを駆け上がる。アルバムは全米3位を獲得し、同年だけで100万枚を売り上げ、2003年までに通算1700万枚のセールスを記録、アメリカン・ロックの新しい時代を開く歴史的作品となった。
1978年、ツアーの合間を縫って慌ただしく制作されたセカンド・アルバム『ドント・ルック・バック』も全米1位の大ヒットを記録する。本作は各バンドメンバーのクレジットがあり体裁上はバンドの形を取っているが、実際には全てショルツの指示通りプレイされているなど完全にシュルツのコントロールが行き届いていた。この意味で、当時のA.O.R.界を席捲していたスティーリー・ダンに近いと理解するのが正しいのかも知れない。
次作の発表が待ち望まれたが、完璧主義者のショルツのレコーディング作業はなかなか進まず、ついにはCBSレコードに契約不履行で訴えられ長期間の法廷闘争に突入、ボストンの活動は一時停止する。数度にわたる洪水で地下のスタジオが水浸しになったとか、発明に没頭していたとか噂は絶えなかった。
この間、ショルツはロックマン・ブランドのギター・アンプやエフェクターを開発・販売する。「これ一台でボストンと同じ分厚いギターの音が出せる」というのが特徴。これでいくつかの音響工学関連の特許を取っている。さらには、「留守中の植物への水やり機」「絶対にチューニングの狂わないギター」など特許は数多くとっているらしい。
法廷闘争が決着しMCAレコードへ移籍した1986年、アルバム『サード・ステージ』を発表。シングル・カットされた「アマンダ」が全米1位を獲得し、アルバムも2作連続で1位を記録。その後も悠々自適のペースでアルバムを制作、1994年に『ウォーク・オン』、1997年のベスト盤をはさんで、2002年に最新作『コーポレート・アメリカ』を発表している。約30年のキャリアでオリジナル・アルバムが5枚しかないという寡作ぶりである。ファンは、8年待てば新しいアルバムを聞くことができると言われている。計算上は次のアルバムは2010年ということになるが…)
全てのアルバムに「No Computers」とクレジットが入っていることは有名。「No Synthesizers」のクレジットはアルバム『ウォーク・オン』にて外された(「Living For You」でシンセサイザーによるストリングスが使用されているため)。
[編集] ディスコグラフィ
- 1976 幻想飛行 Boston (全米3位 1700万枚)
- 1978 ドント・ルック・バック Don't Look Back (全米1位 700万枚)
- 1986 サード・ステージ Third Stage (全米1位 400万枚)
- 1994 ウォーク・オン Walk On (全米7位 100万枚)
- 1997 グレイテスト・ヒッツ Greatest Hits (全米47位 200万枚)
- 2002 コーポレイト・アメリカ Corporate America (全米42位 50万枚)
[編集] 脚註
- ↑ この意味で結果的に中期のクイーン(同時代)に近い方向性になっている。クイーンはイギリスのバンドで、アメリカのポップスに影響を受けているのでベクトルの向きは逆であるが。
- ↑ 2006年現在、素人でも容易く取り扱えるようになっているコンピュータ上での音楽操作(総称してD.T.M.と言う。具体的にはデジタル録音(デジタル・サンプリング技術)、デジタル・エフェクト処理(音素材がデジタル化されて初めて真価を発揮する)、デジタル・マスタリング技術、MIDI(デジタル楽器を統合するインターフェースの規格)等)などプロ用機材ですら実用レベルでは存在しなかった時代である事を忘れてはいけない。
- ↑ ことの真偽は話半分の伝説だとしても、それ程にショルツの総合能力が高かったという証左であろう。
[編集] 関連項目
- アメリカン・プログレ・ハード
- クラシック・ロック
- プログレッシブ・ロック
- ジェネシス
- EL&P
- カンサス
- ジャーニー(Journey)
- スティクス