ホーチミン (市)
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ベトナムの地方行政区画 |
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行政 | |
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人民評議会議長 | Phạm Phương Thảo |
行政委員会委員長 | Lê Hoàng Quân |
地理 | |
省都 | |
地方 | 東南 |
面積 | 2,095 km² |
統計 | |
人口 人口密度 |
6,239,938 (2005年) 2,978/km² |
民族 | キン族、華人、クメール人 |
電話番号 | +84 (8) |
ISO 3166-2 | VN-65 |
公式サイト | [1] |
ホーチミン(Hồ Chí Minh, 胡志明)は、ベトナム最大の都市である。人物のホー・チ・ミンと区別するためホーチミン市ともいう。旧名はサイゴン(Sài Gòn, 柴棍)で、旧南ベトナムの首都であった。地元ではホーチミンではなく現在でもサイゴンという名前が使われ、日本でもバックパッカーやベトナム愛好者はサイゴンと呼ぶ場合が多い。首都のハノイがベトナムの政治の中心なら、ホーチミンは経済の中心である。
目次 |
[編集] 歴史
古くはクメール人が住む小さな漁村だった。17世紀に、北部から移住してきたベトナム人によってサイゴンと呼ばれるようになった。1698年、阮氏の支配下に入った。1858年に仏越戦争が勃発するとフランスの占領下におかれ、1862年のサイゴン条約で阮朝にコーチシナ東部の支配を認めさせた。この際にサイゴンは開港し、1887年に成立したフランス領インドシナのもとで急速に発展し、「東洋のパリ」と呼ばれるようになった。第二次世界大戦後、1949年にフランスの傀儡政権であるベトナム国が成立し、サイゴンはその首都となった。1954年のジュネーヴ協定によってベトナムの分裂は決定的となり、1955年アメリカの影響の下、ゴ・ディン・ジエムを大統領としたベトナム共和国(「南ベトナム」)が成立した。1965年の北爆開始によってベトナム戦争が本格化すると、徐々にベトナム共和国は劣勢に陥り、1975年4月30日、ベトナム民主共和国(「北ベトナム」)軍によってサイゴンは陥落、ベトナム共和国政府は崩壊し、翌1976年にはベトナムが統一され、ベトナム社会主義共和国が成立した。また、同年にベトナムの民族的英雄の名をとってホー・チ・ミン市と改名された。この後、社会主義体制を望まない多くの市民が逃れたため、周辺国への難民が多く発生した。
[編集] 地理
ベトナム南部、サイゴン川の西岸に位置する。
[編集] 主な建築物
[編集] 教育
- ホーチミン市国家大学
- ホーチミン市工科大学
- 戦争証跡博物館 - ベトナム戦争時に使用されたアメリカ軍の兵器の他、沢田教一氏の写真などが展示されている。
[編集] 交通
- ホーチミン市にはタンソンニャット(新山一)国際空港がある。
- 市民の最も一般的な交通手段はオートバイで、ものすごい数のオートバイが市内を行き交っている。
- 鉄道の駅名は、市名が変わったあとも「サイゴン駅(ガ・サイゴン)」である。
[編集] 郊外の都市
- クチ - ベトナム戦争で南ベトナム解放民族戦線が使用した、地下トンネルがある。
- タイニン - ベトナムの風変わりな新興宗教であるカオダイ(高台)教の総本山がある。
[編集] メコン・デルタ地帯
ミトー、カントー、カイベー、ヴィンロン
[編集] 姉妹都市
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ベトナムの地方行政区画
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