ホノリウス
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フラヴィウス・アウグストゥス・ホノリウス(Flavius Augustus Honorius 384年9月9日-423年8月15日)は、西ローマ帝国の初代皇帝。テオドシウス1世の子(在位:395年-423年)。
395年、父の遺言で兄・アルカディウスは帝国領の東半分(東ローマ帝国)を、ホノリウス自身は帝国領の西半分(西ローマ帝国)をそれぞれ分割して統治した。これが、ローマ帝国の東西分裂である。当初はメディオラヌム(現在のミラノ)に宮廷を置いたが、402年にはラヴェンナへ遷都し、そこに篭りっきりであった。
暗愚な人物であったため、政務はヴァンダル族出身の将軍・スティリコが行なった。ホノリウスはスティリコの娘と結婚したが、408年にホノリウスは実権を取り戻すために、スティリコを陰謀罪で処刑してしまった。
これにより西ローマ帝国の勢力は衰退。属州ブリタニアを維持できずに放棄し、ガリアにはゲルマン人が侵入。そして410年、イタリアへ西ゴート王国のアラリック1世が侵攻してくる。スティリコのいない西ローマ軍には対抗できるような力は無く、ローマ市は西ゴート軍に占領されて略奪されてしまった。しかしホノリウスは、そのローマ陥落の知らせを受けても、趣味であった鶏を飼うことに没頭していたという。
423年、40歳で子供を残さずに死去。彼の代で既に西ローマ帝国は実質的にイタリアを支配するのが精一杯の状態となっていた。西ローマ帝国の実質的な滅亡の一因を作った暗君である。
西ローマ帝国テオドシウス王朝 | ||
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