スティリコ
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フラウィウス・スティリコ(Flavius Stilicho 365年 - 408年8月22日)は、西ローマ帝国の軍人。
[編集] 生涯
365年生まれ。父親はヴァンダル族のローマ軍人だった。394年にローマ軍司令官となり翌395年にテオドシウス1世が死去すると西ローマ帝国のホノリウスの後見人を務めた。アフリカのギルドーの反乱を鎮圧してメディオラムを包囲。西ゴート王アラリック1世の軍を撃退するなど絶大な功績を誇り東ローマ帝国にも干渉してアルカディウス帝の奸臣ルフィヌスを暗殺する。しかし最後は西ゴート族との内通を疑われ、ホノリウスの命令で処刑された。このスティリコの死を契機に、ローマ軍によって、蛮族傭兵が虐殺され、多数の傭兵が西ゴート族に身を投じ、ローマ略奪を引き起こす原因となった。
[編集] 外部リンク
- Claudian at LacusCurtius (A collection of Claudian's works in both Latin and English, including his panegyrics for Stilicho.)