ブラディミール・ゲレーロ
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守備位置 | 右翼 |
所属球団 | ロサンゼルス・エンゼルス |
背番号 | |
日本でのキャリア | N/A |
アメリカでのキャリア | 1996- |
誕生日 | 1976年2月9日 |
身長 | 190.5 cm |
体重 | 106.6 kg |
打席 | 右 |
投球 | 右 |
出身校 | N/A |
年俸 | $N/A |
出身地 | ドミニカ共和国ニザオ・バニ |
前所属球団 | モントリオール・エクスポズ |
MLBデビュー年 | 1996年9月19日 |
ニックネーム | Vlad |
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ブラディミール・アルビーノ・ゲレーロ(Vladimir Alvino Guerrero , 1976年2月9日 - )はドミニカ共和国出身の野球選手。外野手、右投右打。現在はメジャーリーグのロサンゼルス・エンゼルス所属。2004年のアメリカンリーグMVP。オールスターには2006年までに合計7回選出されている。愛称はVlad(ブラッド)。
兄のウィルトン・ゲレーロもメジャーリーガー(ただし、2005年シーズンは出場なし)。
なお、"Vladimir"は米国では“ヴラディミーア”、"Guerrero"は“グレーロ”と発音されている。日本語媒体では表記が資料ごとに揺らいでおり、「ウラジミール」、「ヴラディミール」など様々。「ゲレーロ」も伸ばさず「ゲレロ」と呼ばれる事も。
目次 |
[編集] 経歴
1993年、ドラフト外でモントリオール・エクスポズへ入団。しかし、入団1、2年目の1994年と1995年はメジャーでの出場機会には恵まれなかった。
メジャー初昇格は入団3年目の1996年だったが、わずかに9試合に出場しただけで終わってしまった。ただ、メジャー初ホームランを記録するなど、収穫がなかったわけではなかった。 翌1997年は90試合に出場。打率.302、11本塁打、40打点を記録した。
1998年は打率.324、38本塁打、109打点を記録。
1999年には打率こそ落としたものの、42本塁打、131打点を記録するなど、打撃二部門で自己ベストの数値を残した。
2000年から2002年までの3年間の平均成績は、打率.329、39本塁打、114打点、29盗塁を記録。
2003年は故障の影響でわずか112試合の出場に留まった。
2004年からはロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムへ移籍。そこでは2000年から2002年までの間に残した3年間の平均成績を上回る成績を残し、MVPを獲得している。
2005年も5月20日から6月10日までを故障で欠場したが、それでも安定した成績を残している。
[編集] プレースタイル
[編集] 打撃・走塁
メジャーでも数少ない打撃時に素手でバットを握って打席に立つ選手の一人。また、独自のストライクゾーンを持っており、打てる球ならばワンバウンドするようなボールや首の高さのアウトコースのボールでも、逆方向(ライト方向)のスタンドに放り込む脅威のパワーを持っている。ただし悪球打ちながら三振は少ない。また、2001年に本塁打34・盗塁37、2002年に本塁打39・盗塁40(いわゆる30-30クラブのメンバー)を記録するなど俊足でもある。
[編集] 守備
肩は現役最強と言われるほど強く、ライト最深部からサードまでノーバウンドでの送球を行える。ただややコントロールに難があり、2004年の失策9個のうち6個は送球エラーによるものである。かつて正確無比なイチローの送球がレーザービームと例えられたのと比較し、その送球技術の雑さと力任せの投げ方からバズーカ(対戦車砲)と呼ばれた事がある。
[編集] 年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 数 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
得 点 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
犠 打 |
犠 飛 |
併 殺 打 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1996 | MON | 9 | 27 | 5 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .185 | .185 | .296 | .481 |
1997 | MON | 90 | 325 | 98 | 22 | 2 | 11 | 40 | 44 | 19 | 2 | 7 | 39 | 0 | 3 | 11 | 3 | 4 | .302 | .350 | .483 | .833 |
1998 | MON | 159 | 623 | 202 | 37 | 7 | 38 | 109 | 108 | 42 | 13 | 7 | 95 | 0 | 5 | 15 | 11 | 9 | .324 | .371 | .589 | .960 |
1999 | MON | 160 | 610 | 193 | 37 | 5 | 42 | 131 | 102 | 55 | 14 | 7 | 62 | 0 | 2 | 18 | 14 | 7 | .316 | .378 | .600 | .978 |
2000 | MON | 154 | 571 | 197 | 28 | 11 | 44 | 123 | 101 | 58 | 23 | 8 | 74 | 0 | 4 | 15 | 9 | 10 | .345 | .410 | .664 | 1.074 |
2001 | MON | 159 | 599 | 184 | 45 | 4 | 34 | 108 | 107 | 60 | 24 | 9 | 88 | 0 | 3 | 24 | 37 | 16 | .307 | .377 | .566 | .943 |
2002 | MON | 161 | 614 | 206 | 37 | 2 | 39 | 111 | 106 | 84 | 32 | 6 | 70 | 0 | 5 | 20 | 40 | 20 | .336 | .417 | .593 | 1.010 |
2003 | MON | 112 | 394 | 130 | 20 | 3 | 25 | 79 | 71 | 63 | 22 | 6 | 53 | 0 | 4 | 18 | 9 | 5 | .330 | .426 | .586 | 1.012 |
2004 | ANA | 156 | 612 | 206 | 39 | 2 | 39 | 126 | 124 | 52 | 14 | 8 | 74 | 0 | 8 | 19 | 15 | 3 | .337 | .391 | .598 | .989 |
2005 | LAA | 141 | 520 | 165 | 29 | 2 | 32 | 108 | 95 | 61 | 26 | 8 | 48 | 0 | 5 | 17 | 13 | 1 | .317 | .394 | .565 | .959 |
2006 | LAA | 156 | 607 | 200 | 34 | 1 | 33 | 116 | 92 | 50 | 25 | 4 | 68 | 0 | 4 | 16 | 15 | 5 | .329 | .382 | .552 | .934 |
通算 | 11年 | 1457 | 5502 | 1786 | 328 | 39 | 338 | 1052 | 952 | 544 | 174 | 70 | 674 | 0 | 43 | 174 | 166 | 80 | .325 | .390 | .583 | .973 |
※数字は2005年までのもの。太字はリーグ1位。
2006 ワールド・ベースボール・クラシックドミニカ共和国代表 |
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15 サロモン・トーレス | 33 ホルヘ・ソーサ | 35 ダニエル・カブレラ | 38 ダマソ・マルテ | 40 バートロ・コロン | 41 フランシスコ・リリアーノ | 43 ミゲール・バティスタ | 47 ロビンソン・テヘダ | 51 ユーデ・ブリトー | 52 デュアネル・サンチェス | 53 フリアン・タバレス | 55 オダリス・ペレス | 56 フェルナンド・ロドニー| 15 ホワン・ブリトー | 22 アルベルト・カスティーヨ | 31 ロニー・ポーリノ | 2 プラシド・ポランコ | 5 アルバート・プホルス | 7 ペドロ・フェリス | 9 ホセ・レイエス | 10 ミゲール・テハダ | 20 ロニー・ベリアード | 29 エイドリアン・ベルトレ | 34 デービッド・オルティズ | 4 ウィリー・タベラス | 8 ルイス・ポローニャ | 18 モイセズ・アルー | 19 ホワン・エンカーナシオン | 26 ウィリー・モー・ペーニャ | 27 ブラディミール・ゲレーロ |
監督 マニー・アクタ | 項 | |