ピューリッツァー賞 写真部門
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ピューリッツァー賞 写真部門はピューリッツァー賞の部門の一つ。1942年から授与されていたが、1968年からはFeature PhotographyとBreaking News Photographyの2部門に分割された。
[編集] 受賞作品
- 1942年:ミルトン・ブルックス(デトロイト・ニュース)、"Ford Strikers Riot"
- 1943年:フランク・ノエル(AP通信)、 "Water!"
- 1944年:フランク・フィラン(AP通信)、タラワの戦い
- 1945年:ジョー・ローゼンタール(AP通信)、『硫黄島の星条旗』(硫黄島の摺鉢山の頂上に星条旗を立てるアメリカ海軍の海兵隊の兵士たちの写真)に対して。
- 1946年:受賞者なし
- 1947年:アーノルド・ハーディ(アマチュア)、ホテル火災、窓から飛び降りる少女の写真に対して。
- 1948年:フランク・クッシング(ボストン・トラベラー)、"Boy Gunman and Hostage"
- 1949年:ナサニエル・ファイン(ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン)、ベーブ・ルースの引退の写真に対して。
- 1950年:ビル・クラウチ(オクラホマ・トリビューン)、航空ショーのニアミスに関する写真に対して。
- 1951年:マックス・デスフォー(AP通信)、"Flight of Refugees Across Wrecked Bridge in Korea"と題する朝鮮戦争に関するシリーズに対して。
- 1952年:ジョン・ロビンソン、ドン・アルタグ(Des Moines Register)、ドレイク大学とオクラホマ州立大学のフットボールの試合において、選手のジョニー・ブライトがあごを骨折した写真を含む6枚のシリーズに対して。
- 1953年:ウィリアム・H・ギャラガー(フリント・マガジン)、1952年の大統領選において、候補のアドレー・スティーブンソンの写真に対して。
- 1954年:Walter M. Schau(アマチュア)、カリフォルニア州レディングにおけるレスキュー。
- 1955年:ジョン・L・ゴーント・ジュニア(ロサンゼルス・タイムズ)、"Tragedy by the Sea"と題する、数分前に彼らの息子を攫っていった荒れた海の前にたたずむ若い夫婦の姿を写した写真に対して。
- 1956年:ニューヨーク・デイリー・ニュース誌のスタッフ、"Bomber Crashes in Street"を初めとする1955年の一連の報道写真に対して。
- 1957年:ハリー・A・トラスク(ボストン・トラベラー)、定期船アンドレア・ドリア号の沈没の様子を上空から撮影したシリーズに対して。
- 1958年:ウィリアム・C・ビール(ワシントン・デイリー・ニュース)、パレードの最中、通りを横切ろうとする2歳の男の子に話しかける警察官の写真に対して。
- 1959年:ウィリアム・シーマン(ミネアポリス・スター)、路上における子供の事故死を捉えた写真に対して。
- 1960年:アンドリュー・ロペス(UPI通信)、フィデル・カストロ率いる革命軍に処刑されるバティスタ軍の伍長を写した写真に対して。
- 1961年:長尾靖(毎日新聞社)、浅沼稲次郎社会党委員長の刺殺の瞬間をとらえた写真に対して。
- 1962年:Paul Vathis(AP通信)、"Serious Steps"
- 1963年:ヘクター・ロンドン(カラカス誌・ベネズエラ)、1962年のベネズエラにおける暴動で、傷ついた兵士を抱える司祭の写真に対して。
- 1964年:ロバート・H・ジャクソン(ダラス・タイムズ・ヘラルド)、ジャック・ルビーによるリー・ハーヴェイ・オズワルド射殺の瞬間を捉えた写真に対して。
- 1965年:ホースト・ファス(AP通信)、1964年の南ベトナムにおける戦闘の写真に対して。
- 1966年:沢田教一(UPI通信)、ベトナム戦争の写真に対して。
- 1967年:ジャック・Rソーネル(AP通信)、ミシシッピ大学に黒人として初めて入学したジェイムズ・メレディスが、メンフィスからミシシッピ州ジャクスンまでの行進の最中に銃撃された際の写真に対して。