トミー・クルーズ
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トミー・クルーズ(Tommy Cruz , 1951年2月15日 - )は、プエルトリコアリョーヨ出身の元プロ野球選手。ポジションは主に外野手、指名打者。日本ハムファイターズに所属していた。
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[編集] 来歴・人物
入団初年度にいきなり打率.309・本塁打26本・打点84を記録し、同時期入団したトニー・ソレイタと共に他球団から恐れられた。翌年も共に1981年の優勝に貢献。1984年には打率.348・本塁打29本・打点96を記録し、ベストナインに選ばれる。1985年にも打率3割を記録したが、契約でもめて惜しまれながら退団。弟にヘクター・クルーズ(元読売ジャイアンツ)が居た。
3番クルーズ・4番ソレイタ・5番柏原純一(柏原とクルーズは入れ替えで3・5番を務めた)の中軸は史上最強とも言われ、この後にファイターズは打線重視のチームになるわけだが、その先人がこの中軸である。1番の島田誠が出塁し、2番が送り3番クルーズがチャンスメイク、もしくはランナーを帰すと、4番ソレイタが溜まったランナーを返し、その後にも5番柏原が控えているという完璧な打線であった。ソレイタや柏原は後にクルーズについて「私生活では良い奴であり、野球では一切、自分に妥協を許さなかった選手」と語っている。
実働6年間のうち退団する1985年まで、4回も3割以上の率を残したアベレージ・ヒッター。更に通算打率.310に、通算6年間で120本塁打を放ったパンチ力もあり、日本球界歴代助っ人外国人でも最強を争える打者の1人である。打率は低く(3割を記録した事もあるが)、二冠王に輝くなどの長打力を持つソレイタとは正反対のタイプだったが、互いの不足する部分を補うかのように2人で打ちまくった。
[編集] タイトル
- 二塁打王
- 2回(1981年、1984年)
- ベストナイン
- 1回(1984年)
[編集] 通算成績
実働6年 試合数712 打数2780 本塁打120 打点466 盗塁9 通算打率.310
[編集] 背番号
- 44(1980年~1985年)
[編集] エピソード
- 顔面に死球を食らって大出血、担架と救急車で球場を後にしたこともある。が、顔を7針縫ったにも関わらず、翌日の試合にスタメン出場した(しかもその試合では猛打賞を記録する)。これにはチームメイトたちも愕然。クルーズがファイターズでの地歩をがっちり固めた事件だった。当時の日本ハム監督、大沢啓二のお気に入りだったことも伝えられるが、それはこのエピソードから見ても十分に理解できる事である。