テディ・イップ
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テディ・イップ(セオドール・"テディ"・イップ、Theodore "Teddy" Yip、中国語名:葉徳利、1907年6月 - 2003年7月)は、インドネシア(生誕当時はオランダ領であった)生まれの東南アジア有数の大富豪で実業家、フォーミュラ1チームのオーナーでレーシングドライバーでもある。国籍はオランダとインドネシアの両方を持っていた。
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[編集] プロフィール
[編集] 生い立ち
1907年に、当時オランダの植民地であったスマトラ島の裕福な華僑の家庭に生まれ、大学時代に宗主国のオランダに留学した。1941年12月の大東亜戦争(太平洋戦争)の開戦後、1942年にスマトラ島全体が日本陸軍の占領下に入ったことを契機に、同じく日本軍の占領下に入ったイギリスの植民地であった香港に移住する。
[編集] 実業家
1945年8月の日本の敗戦に伴う戦争終結後に、香港で貿易会社を起こし成功させた。さらに事業の拡大につれ、ポルトガルの植民地であったマカオでのカジノやフェリー会社の経営や、タイ王国の首都であるバンコクでのホテル経営など、他業種にその事業を広げてそのほぼ全てを成功させ、東南アジア有数の大富豪として名を馳せる様になってゆく。その後はマカオのカジノ王であるスタンレー・ホーなどとの共同事業などを行う傍ら、モータースポーツの最高峰であるフォーミュラ1にチームオーナーとして参戦するなど、その活動は世界的な規模となっていった。
[編集] 死去
フォーミュラ1への参戦をやめた後もF3などの下位フォーミュラへの参戦を行ったほか、地元のマカオグランプリの顔的存在となり、多くの若手ドライバーの成長の手助けをするなど活躍したが、2003年に惜しまれながら死去した。
[編集] モータースポーツ
[編集] レーシングドライバー
自らの事業の本拠地の1つであるマカオで1954年から行われていた市街地レースであるマカオグランプリに、開始3年目となる1956年からレーシングドライバーとして参戦した。1963年にはジャガーXK120をドライブし総合3位になるなど活躍した後、1970年代前半に引退する。
[編集] 徳利賽車隊
その後、1974年からアメリカのフォーミュラ1チームのエンサインにスポンサーとして参入し、1978年からは、自らの英語名を冠したセオドール・レーシングチーム(中国名:徳利賽車隊・香港)のチームオーナーとして参戦する。
早くも同年にイギリスで行われた非選手権フォーミュラ1レースで、後にワールドチャンピオンとなるケケ・ロズベルグがドライブするセオドールTR1・コスワースが優勝するなど幸先のいいスタートを飾るが、この年を持って一旦撤退しスポンサーとしての活動に戻る。
その後、1981年よりチームオーナーとして再参入をし、2回の入賞をするものの優勝を飾ることはなく、1983年を持ってフォーミュラ1からは撤退する。なお、合計51レースに参戦し獲得ポイントは2点と、プライベートチームとしては上々の結果であった。
[編集] 若手ドライバーへのサポート
その後はインディカーなどのレースにスポンサーとして参戦を行った他、毎年マカオグランプリに参戦するフォーミュラ3チームのスポンサーとなり、アイルトン・セナやミカ・ハッキネンなどの後のトップドライバーをサポートした。